メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol63(平成30年(2018年)9月発行)

音声広報CD「明日への声」のHTML版をトラックナンバーごとにご覧いただけます。こちらから移動できます。
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トラックナンバー6

(タイトル)
小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)

 このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回2首ご紹介しています。
 「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家(ふじわらのていか)によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)

 まずは、平安時代前期の人、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の歌です。

あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ
をとめのすがた しばしとどめむ

天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ

 この歌は、「天を吹く風よ、天女が天上と地上とを行き交う雲の中の道を吹き閉ざしておくれ。美しく舞う天女の姿をもうしばらくとどめておきたいから」という意味です。
 その年に収穫した穀物を供える新嘗祭(にいなめさい)の翌日に行われる、豊明節会(とよあかりのせちえ)という宮中行事の中の「五節(ごせち)の舞」で舞を演じる乙女たちを天女に見立て、雲を擬人化して呼び掛けながら、舞が終わり天女が天へ帰るのを惜しんでいます。華やかで美しい調べで人気の高い歌です。
 作者の僧正遍昭(そうじょうへんじょう)は、当時の仁明(にんみょう)天皇に仕えていた際にこの歌を詠み、その後天皇の崩御(ほうぎょ)を機に出家します。あるとき遍昭が修行している寺に妻が詣(もう)で、突然消えて出家した夫との再会を泣く泣くお坊さんに祈願します。このとき隣の部屋で妻の嘆きを聞いていた遍昭は、会いたい気持ちを抑え、人知れずその寺を立ち去ったといいます。苦しい修行のかいがあってか、朝廷から僧侶に与えられる最高の官位の僧正まで昇りつめました。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ
をとめのすがた しばしとどめむ

 続いては、鎌倉時代の人、順徳院の歌です。

ももしきや ふるきのきばの しのぶにも
なほあまりある むかしなりけり

百敷や 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり

 この歌は、「宮廷の古い軒端に生えている忍草を見るにつけ、しのんでもしのびきれない、古きよき時代よ」という意味です。「百敷」とは宮廷を指し、「しのぶ」は植物の忍草と、思い出を「しのぶ」が掛けられており、軒端に忍草が生えるとは、邸宅が衰退して荒廃する様子を表現しています。
 作者の順徳院は、父である後鳥羽上皇と一緒に鎌倉幕府を打倒しようと「承久(じょうきゅう)の乱」を企てますが、戦いに敗れ佐渡に流されます。この歌は、佐渡に流される前に詠まれたもので、宮廷の力が衰えたことに対するやるせない思いが表現されています。順徳院は佐渡に流されてから20年後、都に戻ることなくその生涯を閉じました。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

ももしきや ふるきのきばの しのぶにも
なほあまりある むかしなりけり

(エンディング)

 いかがでしたか? 秋の夜に幸福な時間が終わるのを惜しんだり、過ぎ去った日々に哀愁を感じることもあるでしょう。百人一首に詠まれた時代を想像してみるのも楽しいですね。

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