メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol70(令和元年(2019年)11月発行)

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トラックナンバー6

(タイトル)
小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)

 このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回二首ご紹介しています。
 「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家(ふじわらのていか)によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)

 まずは、平安時代前期から中期にかけての人、三条右大臣(さんじょううだいじん)の一首です。

名にし負はば 逢坂山の さねかづら
人に知られで 来るよしもがな

なにしおはば あふさかやまの さねかづら
ひとにしられで くるよしもがな

 この歌は、「逢坂山の真葛(さねかずら)が“会ってともに寝る”という名を持っているのなら、その真葛のつるを手繰り寄せるように、人知れずあなたの元を訪れることができたらいいのに」という意味です。逢坂山には「会う」という言葉が、真葛には“異性がともに寝る”という意味を持つ「さ寝」という言葉がかかっており、掛詞(かけことば)が随所に散りばめられた技巧的な一首となっています。歌の中で「くる」とありますが、これは女性側に心を置いて詠っているものであり、実際には男性が女性の元に「行く」ことを表しているものと考えられています。
 作者の三条右大臣(本名:藤原定方(ふじわらのさだかた))は醍醐天皇の時代に右大臣となり、屋敷が京都の三条にあったため三条右大臣と呼ばれました。この時代を代表する歌人であるとともに、管弦の名手としても知られています。また、土佐日記の作者である紀貫之(きのつらゆき)をはじめとした他の歌人の後援者となるなど、当時の和歌の世界では強い影響力を持つ人物であったとも考えられています。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

なにしおはば あふさかやまの さねかづら
ひとにしられで くるよしもがな

 続いては、平安時代中期の人、中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)の歌です。

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし

あふことの たえてしなくは なかなかに
ひとをもみをも うらみざらまし

 この歌は、「もしあなたと逢うことがまったくなかったなら、かえってあなたのつれなさや私の身の不幸を恨むことなんてなかったのに」という意味です。この歌は、村上天皇によって行われた歌合(うたあわせ)で「恋」という題に対して詠まれたものであり、歌の中の男女は、特定の人物を指しているわけではないとされています。
 作者の中納言朝忠は、先に紹介した三条右大臣の五男として生まれました。父と同じく和歌に優れた才能を発揮し、三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)にも選ばれています。さらに、管弦についても父譲りの才能を持っていたと言われています。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

あふことの たえてしなくは なかなかに
ひとをもみをも うらみざらまし

(エンディング)

 いかがでしたか? 時代を代表する歌人として活躍した、三条右大臣とその息子である中納言朝忠。百人一首に選出された歌がともに男女の逢瀬を詠んでいるところに、親子のつながりを感じますね。

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