メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol71(令和2年(2020年)1月発行)

音声広報CD「明日への声」のHTML版をトラックナンバーごとにご覧いただけます。こちらから移動できます。
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トラックナンバー6

(タイトル)
小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)

 このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回二首ご紹介しています。
 「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家(ふじわらのていか)によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)

 まずは、平安時代中期の人、権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)の一首です。

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木(あじろぎ)

あさぼらけ うぢのかはぎり たえだえに
あらはれわたる せぜのあじろぎ

 この歌は「夜がほのぼのと明けるころ、宇治川の川面に立ち込めていた川霧もところどころ晴れてきて、その間に次々に現れる川瀬の網代木であるよ」という意味です。網代木は、魚を獲るための道具で、川瀬に杭を打ち竹や木で編んだざるを仕掛ける仕組みになっています。特に、冬の宇治川で鮎の稚魚を獲る漁が有名であり、網代木という言葉は冬の季語になっています。目の前の情景を素直に詠んでいますが、「朝」「あらはれ」「網代木」と「あ音」が続くことで、滑らかな響きを感じさせるでしょう。
 作者の権中納言定頼は、和歌をはじめ、音楽や書などの才能に富み、容姿も優れていたとされています。一方で、百人一首にも収録されている女流歌人、小式部内侍(こしきぶのないし)をからかうも逆にやり込められたり、自らの発言が原因で謹慎を命じられたりしたこともあり、少々軽率な性格だったと考えられています。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

あさぼらけ うぢのかはぎり たえだえに
あらはれわたる せぜのあじろぎ

 続いては、平安時代中期の人、大納言公任(だいなごんきんとう)の歌です。

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ

たきのおとは たえてひさしく なりぬれど
なこそながれて なほきこえけれ

 この歌は、「滝の音が聞こえなくなってからずいぶん長いこと経つが、その評判は世間に響き渡って今なお聞こえているほどだよ」という意味です。かつて嵯峨上皇の離宮であった大覚寺の古い滝を詠んだ歌と言われ、滝の水が枯れた後でも人々の話題にのぼっていたようです。「滝」「絶えて」や「なり」「名」「流れ」「なほ」など、同じ音を繰り返して滑らかな響きを感じさせたり、「滝」と「流れ」、「音」と「聞こえ」といった意味に関連性のある言葉を入れ込んだりするなど、非常に技巧的な歌となっています。
 作者である大納言公任は、先ほどご紹介した権中納言定頼の父であり、さまざまな才能に秀でた存在であったとされています。そのことを表す逸話が、『大鏡』に記されています。当時、藤原道長が舟遊びで漢詩、和歌、管弦に優れた人を三隻の舟に分けた際、どれも優れていた公任をどの舟に分けるかに悩み、本人に「どの舟に乗りますか」と尋ねたそうです。このとき公任は和歌の舟を選びますが、どの舟に乗ってもおかしくないほど才能にあふれた人物であったことがうかがい知れます。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

たきのおとは たえてひさしく なりぬれど
なこそながれて なほきこえけれ

(エンディング)

 いかがでしたか? 前回ご紹介した三条右大臣と中納言朝忠の親子はともに男女の逢瀬を歌にしましたが、今回の大納言公任と権中納言定頼はともに自然の情景を歌にしています。ひとつの和歌としてだけではなく、歌人同士の関係を含めて百人一首にふれてみるのもおもしろいですね。

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