メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol72(令和2年(2020年)3月発行)

音声広報CD「明日への声」のHTML版をトラックナンバーごとにご覧いただけます。こちらから移動できます。
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トラックナンバー6

(タイトル)
小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)

 このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回二首ご紹介しています。
 「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家(ふじわらのていか)によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)

 今回は、平安時代から鎌倉時代にかけての主要な女性歌人36人の代表作が網羅されている「女房三十六人歌合(にょうぼうさんじゅうろくにんうたあわせ)」に歌が採られ、「女房三十六歌仙(にょうぼうさんじゅうろっかせん)」の名で知られる歌人をご紹介します。まずは、平安時代中期から後期にかけての人、相模(さがみ)の一首です。

恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

うらみわび ほさぬそでだに あるものを
こひにくちなむ なこそをしけれ

 この歌は「もう恨む気力がないほど恨み悲しみ、涙に濡れて乾かす暇もない着物の袖すら朽ちてしまいそうなのに、さらにこの恋によって自分の評判までもが朽ちていくのが口惜しいのです」という意味です。失恋しただけではなく、そのことによって悪い噂までもが流れてしまうのではと嘆く、深く傷ついた女性の心情が表現されています。
 作者の相模は、藤原道長などの藤原氏に仕えていた源頼光の養女とされるのが通説であり、前回の「小倉百人一首を楽しむ」で紹介した権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)と恋愛関係にあったともいわれています。藤原道長の次女である藤原(ふじわらの)妍子(けんし)や一条天皇の娘である脩子内親王(しゅうしないしんのう)に仕え、その後は、後朱雀天皇の娘であり、当時盛んに歌合を催していた祐子内親王(ゆうしないしんのう)にも仕えました。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

うらみわび ほさぬそでだに あるものを
こひにくちなむ なこそをしけれ

 続いては、平安時代後期の人、祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)の歌です。

音に聞く 高師の浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ 

おとにきく たかしのはまの あだなみは
かけじやそでの ぬれもこそすれ

 この歌は「噂に名高い高師の浜でいたずらに立つ波のように移り気なあなたの心は、気にかけないでおきましょう。涙で袖を濡らすことになるでしょうから」という意味です。表面上は高師の海の風景を歌っているようですが、そこには浮気者として名高い男性を拒む意味が隠されています。
 作者の祐子内親王家紀伊は、先ほどの相模と同様に後朱雀天皇の娘である祐子内親王に仕えていた歌人です。祐子内親王は他にも更級日記(さらしなにっき)の作者で知られる菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)をはじめ、文才に優れた女性を数多く召し抱え、平安時代後期の文学に大きな影響を与えていました。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

おとにきく たかしのはまの あだなみは
かけじやそでの ぬれもこそすれ

(エンディング)

 いかがでしたか?年齢差があるので2人の間に交流があったかは定かではありませんが、もしお互いに面識があったとすれば、それぞれの歌をどのように感じていたのかなどと想像してみるのも百人一首の楽しみ方のひとつかもしれませんね。

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