Home > Highlighting JAPAN > Highlighting Japan March 2019 > 日本の風呂と生活

Highlighting JAPAN

 

消えゆくからこそのロマン。銭湯の壁を彩り続ける絵師

銭湯の壁を専門に絵を描く“銭湯絵師”。日本独自のこの職業に就いているのはわずか3人しかいないという。その一人が66年ものキャリアを誇る丸山清人さんである。都内のとある銭湯で絵筆を執る丸山さんに話を伺った。

「大正元年(1912年)、神田神保町にあったキカイ湯が銭湯絵の始まりです。壁が殺風景だと絵師に富士山を描かせたところ、それが評判になったんです。その広がりと共に、銭湯絵師という職業が誕生しました」

銭湯絵ともペンキ絵とも背景画とも呼ばれる絵の歴史を説明してくれる丸山清人さんは1935年生まれの83歳。銭湯絵を描き続けて66年、これまで1万~1万2000枚の絵を手掛けたベテラン中のベテランであり、日本で最年長の銭湯絵師である。
「叔父(故丸山喜久男さん)が銭湯専門の広告代理店で広告看板の仕事をしていました。絵を描くのが好きだったこともあり、18歳の時にこの道に入りました」

銭湯絵の誕生により、銭湯絵の下に企業や近隣の商店などの広告を掲げる新しいビジネスも生まれた。代理店は広告を置かせてもらう代わりに、年1回サービスで絵を描いた。丸山さんは代理店の専任絵師だったのである。銭湯の減少に伴い広告ビジネスも衰退し、どんな絵を描くかはオーナーからの注文によると言う。

銭湯絵といえば風景、特に富士山をイメージするが、以前は瀬戸内海や灯台、また吉祥天女など慶事を連想させる意匠などもあり、また70年代はアニメのキャラクターも人気だった。銭湯によってオリジナリティがあったと振り返る。

絵は常に湯に当たり、明かりや日光にさらされることがあるため、褪色や塗料の剥げが起こりやすい。そのため3~4年で描き直すのだが、基本的に前の絵の上に次の絵を重ね描きする。つまり消える運命にある絵なのである。それを「寂しいけれど、日本的なロマンもありますよね」と話す。

最も多く描いているのは、青い海と空、白い雲、そして新緑だが、丸山さんが用意するのは白、赤、黄色、黒、群青の5色。全ての色彩をお手製のパレット上で作りながら、幅3間から3間半(5.4~6.3m)の巨大なキャンバスに向かうと、1枚を3時間半ほどで描き上げる。しかし壁には下書きもなければ、丸山さんの手には下図もない。頭の中の風景を、そのまま壁に写し取っていく。その出来上がっていく様子は見事の一言である。

その絵筆の動かし方を真剣に見つめるのが、初めての弟子である勝海麻衣さんである。
「妥協せず、向上心を持って絵に向き合う姿勢に感動します。大らかで優しいけれど、カッコいい。そんな人柄が絵に現れています」と惚れ込む。そんな弟子に丸山さんは自分の技術を惜しむことなく伝え、特に「葉っぱと雲の描き方は教えたい」と目を細める。もし丸山さんの絵に出会うことがあれば、近くで繊細な筆使いもじっくりとご覧いただきたい。

「長く続けてこられたのは楽しかったから。嫌だと思ったことが一度もないんです。しかも生涯現役でいられる仕事でしょう。この商売を選んで良かったって思いますよ」

丸山さんへの仕事の依頼は銭湯のみならず老人ホームや個人のお宅などからも舞い込み、さらにワークショップやイベントといった活動も積極的に行っている。多忙を極める中で一番嬉しかったのは、孫娘と弟子との三人で銭湯絵を描いたことである。「生涯現役だからこそ実現した」と、丸山さんはインタビュー中で最高の笑顔を見せた。