Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2011年5月号 > 被災地支援に奮闘する企業(仮訳)

Highlighting JAPAN

前へ次へ

特集震災復興

被災地支援に奮闘する企業(仮訳)

English

政府やNGO、NPOだけではなく、企業も自らの得意分野を活かし、東日本大震災被災地の支援・復興にあたっている。ジャパンジャーナルが3社の事例を紹介する。

パン・アキモト

3月11日、栃木県那須塩原にあるパン屋、パン・アキモトは大きな揺れに襲われた。事務所の棚にある書類などが崩れ落ち、パン工場ではパンを焼くガスオーブンがずれ、ガス管が切断される被害を受けた。翌日、工場が無事復旧すると、同社の秋元義彦社長は、従業員にフル生産の号令をかけた。

「1995年の阪神・淡路大震災の経験をきっかけに生まれた『パンの缶詰』は、2004年の新潟県中越地震で、大変多くの人に受け入れて頂きました」と秋元氏は言う。「今回も、被災者向けの食品として大量に必要になると直感したのです」

パン・アキモトが開発した「パンの缶詰」の賞味期限は最長3年で、いつ開封してもやわらかなパンを食べることが出来る。缶詰入りなので、パンが潰れたり、濡れたりすることもないので、運搬や保存もしやすい。これまでも、個人、自治体、企業、学校で非常食として購入されるだけではなく、NGOを通じて、2005年のスマトラ沖地震、2010年のハイチ地震にも救援物資として送られている。

東日本大震災の発生直後、秋元氏は在庫の約1万缶を被災地に寄付した。さらに、継続的に被災地へパンを送るために、自身が属する経営者団体に支援を呼びかると、会員のツイッターやSNSを通して情報が流され、瞬く間に財政的な支援の輪が広がった。また、秋元氏の知人の企業が被災地までのパンの輸送を引き受けることになり、さらに、秋元氏がメンバーとなっているNGO「日本国際飢餓対策機構」が現地でパンを配布する役割を担う事になった。

「震災から4日間ほどで、パンを作る人、資金を作る人、パンを運ぶ人、現地でパンを配る人というつながりが出来たのです」と秋元氏は言う。

さらに、秋元氏は、震災前にパンの缶詰を購入していた人々に手紙を送り、パンの缶詰が手元に残っていれば、それに被災者へのメッセージを書いて、送料負担で返送してくれないかと呼びかけた。すると、様々なメッセージが書き込まれた7000缶以上のパンの缶詰がパン・アキモトに寄せられた。

このようにして、パンの缶詰は震災以来、3〜4日ごとに被災地に運ばれている。その数は、現在までに4万缶以上に達した。

「たくさんの人々の支援がありました。我が社単独では、これほどのことは出来ませんでした」と秋元氏は言う。「他の人を思いやる優しさが日本人の心にどんどんと伝播していると感じます」

イケア

3月11日の地震は、千葉県船橋市にある、スウェーデンを発祥とする世界的家具店「イケア」の船橋店も激しく揺らした。幸い、店内の客にはケガもなく、店員が誘導し避難をさせたが、店の近くでは液状化現象により、地面から水が噴出した。船橋店を含め、近隣は停電となり、鉄道もストップし、余震も続いたため、店の近くにある学校、公民館などの避難所には、数多くの人が集まってきた。そのような中、船橋店にいた社員約150名は総出で店内から、そうした避難所に、在庫のあった毛布、水、チョコレートなど商品を無料で配った。

「マニュアルで決まっていたわけではないのですが、私たちは、元来『より快適な暮らしをより多く方たちに』という企業理念を持っているので、そうした活動が自然に広がったのだと思います」と、イケア・ジャパンのPR&インターナショナル・コミュニケーションマネージャーの大畑智美氏は言う。

そして翌日から、イケア・ジャパンは東北地方の被災地支援内容を検討、被災地は寒さが厳しいという状況に対応するために、3月15日に緊急支援物資第一便として、在庫から約4500枚の毛布を宮城県気仙沼に送った。その後も、タオル、ポテトチップス、ミネラルウォーターなど、在庫から被災者を最大限支援できる物資を選び、被災地へ送った。

今回、イケア・ジャパンは物資の輸送、配布を、ピースウィンズ・ジャパン、ビジョン・ジャパンなど、国際的な災害緊急支援の経験豊富なNGOに依頼し、公的支援が不足がちな地域に、物資が迅速に届くようにした。さらに、セーブ・ザ・チルドレン、日本ユニセフ協会といった被災地の子どもを支援する団体と協力し、ぬいぐるみ、木製おもちゃなどの子ども向けの支援物資も送った。

「当初、ぬいぐるみを送って本当に役に立つかどう心配でしたが、後日、避難所で子どもに非常に喜ばれたと聞き、安心しました」と大畑氏は言う。「『家が世界で一番大切な場所』、『子どもが世界で一番大切な存在』というイケアの企業理念を活かした支援が出来たと思っています」

また、兵庫県神戸市にあるイケア神戸、大阪府大阪市にあるイケア鶴浜では、布団、毛布、クッション、懐中電灯などの商品を通常の半額で販売、購入者はそれらの商品を支援物資として被災地に送ることが出来るという支援活動を行った。1995年に阪神淡路大震災を経験した人が多く住む地域ということもあり、多くの商品のパッケージには、被災者への応援メッセージが書き込まれた。

さらに、イケア・ジャパンは、仮設住宅の増加にともない、鍋、フライパン、皿、テーブルなどの生活用品の寄付も始めている。

「将来的には、東北にイケアの店舗をオープンし、地元の雇用創出に貢献できる日がくると良いですね」と大畑氏は言う。

セブン&アイ・ホールディング

全国に約1万3000店のコンビニエンスストアを展開するセブン・イレブン・ジャパンを傘下に持つ、セブン&アイ・ホールディングスの被災地支援の動きは早かった。震災翌日には、トラックで2リットルのミネラルウォーターのボトル3万本と、ヘリコプターで菓子パン1000個を宮城県の災害対策本部に届け、その後も被災地に、ご飯、毛布、バナナなどを運んだ。また、震災前から、災害時には衣料、寝具などの生活必需品を提供するという災害協定を結んでいた岩手県には、県からの要請に基づきコート、セーター、靴下など約54万点を渡している。

震災後、地震の揺れや津波によって閉店を余儀なくされたセブン・イレブン各店舗も、約1400店舗のうち約600店舗にのぼった。3月15日から、そうした店舗には、セブン・イレブン・ジャパンの本社から合わせて社員約300名が順次派遣され、店内の清掃や後片付けなど営業再開のための作業を行った。さらに、食品製造工場や配送センターの被災による、食品を中心とした商品不足を補うために、被災していない工場から商品を配送するバックアップ体制を整えた。

「小売業における最も重要な使命は、店を開け続けること、やむを得ず、閉店せざるをえない場合は、一刻も早く営業を再開することだと思います」と、セブン&アイ・ホールディングのCSR統括部の尾崎一夫氏は言う。「現地のオーナーや従業員は、お客様の日常生活を取り戻すために全力を注いでいました」

宮城県石巻市のある店舗では、津波で店が浸水したものの、被災翌日には開店。多くの客が訪れたが、停電によりレジが使えず、バーコードで商品の値段を読み取ることができなかった。このため、客に紙と筆記用具を渡し、陳列棚に書いてあるそれぞれの商品値段を紙に書いてもらい、店員がその合計金額を電卓で計算するという「自己申告」の方法を取り、営業を続けた。また、東京でも、鉄道の運休により自宅に帰れなくなった人が休息をとる、避難所の役割を果たした店もあった。

「被災地では、数多くのお客様から『店が空いているだけで安心します』という声を頂きました」と尾崎氏は言う。「そうした声が我々にとって、一番嬉しいです」

4月初旬までに、休業していた店舗の9割は営業を再開した。

前へ次へ