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会津塗りをモダンに:ビトワ(仮訳)

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東京から北へ電車で3時間の距離にある福島県会津若松は、静かなたたずまいの歴史を感じさせる街だ。その会津若松では、小さな工房集団が現代的感覚と地元で400年の伝統がある漆器を融合させる事業に取り組んでおり、地元職人の技巧を21世紀のグローバル市場へもたらすうえで貢献している。ギャビン・ブレアが報告する。

会津地方における漆器の歴史は、この地域の地元大名だった蒲生氏郷がその大きな発展の足がかりを築いた1590年まで遡ることができる。氏郷は、日本の中央に位置する現在の滋賀県にあたる旧領地から伝統を取り入れて発展の基礎を築いた。会津と地場産業は、その後何年にもわたり日本に災禍をもたらした内戦で損害を被ることになるが、19世紀後半頃には漆器工芸で卓越した中心的存在となっていった。

しかし、世界中の伝統工芸と同様、会津の漆器は安価な輸入品や高齢化する職人基盤によって存続が危ぶまれ、ここ数年は厳しい状況に直面してきた。

ビトワは2005年に若い実業家グループによって創設されたもので、彼らは地元の職人を結集し、職人たちが生み出す製品ラインを拡大し、共通ブランドのもと売り出す計画を立てていた。

ビトワ・グループは、2006年に製品を正式に展示・販売する前にJAPANブランドとしてパートナー関係を結んだ。

会津若松の歴史ある会津塗り工房で、ビトワの創設グループ会社の一社である遠藤正商店の遠藤典宏社長は、次のように語っている。「このグループには当初12社以上の会社が参加していたのですが、我々のビジネス手法に誰もが賛同するということではありませんでした。そうした中、参加企業は現在では4社となっています」。

遠藤氏の説明によると、ビトワの現行パートナーは全員が会津若松の出身者だということだ。彼らは、金融や音楽、経営コンサルタントや宇宙工学といった幅広い分野でキャリアを積むため上京し、その後地元産業の再生に意を決し故郷に戻ってきた。

「我々はみな厳しい局面に立たされてきましたが、会津の「ものづくり」を大いに誇りとしており、そうした伝統が消え去ってしまうのを目の当たりにしたくはないのです」。

一つの作品は、何人もの才能で

会津漆器の製品が生み出される手法を際立たせているのは、製品を構成するそれぞれの要素が異なる職人によって手がけられていることだ。

遠藤氏は、次のように説明してくれた。「惣輪師は箱や盆といった平板の製品を作り、木地師はお椀や丸いものを作っています。その後、板物塗師が平板の製品に漆を塗り、丸物塗師は同じように丸いものに漆塗りを施しています。最後に、蒔絵師が製品の表面に装飾模様を上塗りするのです」。

地域工芸の伝統的要素を守る一方で、ビトワ・グループは現代的なテイストやニーズに合うよう製品の適応化も図ってきた。

現在、ビトワの幅広い製品ラインには、ラジオの本体ケース、テレビ用スタンド、試作品ではiPhone用カバーといったアイテムもある。会津の伝統職人は誰でも新たな方向性に賛同しているわけではないが、グループの熱意や情熱に説得され新しいアイデアを取り入れることが、この静かで古い街の再生には欠かせないと確信する人たちも多くいるのだ。

「伝統漆器に関わる工程はあまりにも複雑なため、最終的には非常に高くつくことになってしまうのです」と、遠藤氏は語っている。「そこで、単に装飾目的だけでなく、日々の生活で使える製品を生み出すため、塗り重ねの回数を減らすなど工程の一部を簡素化したのです」。

それでも、簡素化されたとされる製品でさえ、会津漆の伝統で4世紀にもわたり育まれてきた特徴や技巧を醸し出している。日本茶の茶葉を入れる木製容器やその同系列にある木製椀は、その簡素さや驚くほどの明るさでともに異彩を放っている。

ビトワ・グループは、全世界へ向けた製品のオンライン販売をすでに始めており、ドイツ、フランス、中国の各地には直販ルートを持っている。

遠藤氏の熱心な説明によると、「来年にはロンドンで試験販売を計画しており、上海と北京でも製品の一部を展示販売し始める予定」だという。

ビトワ・グループのメンバーであれば誰でも思いを寄せる故郷の近辺では、ビトワ・カフェが7月に会津若松でオープンする。

遠藤氏は、市の中心部で現在改修中のショップを誇らしげに指し示して、「あそこのスペースで開店することになります」と語っていた。「このカフェではビトワのアイテムを、実際の器として使って頂けますが、他の会津産品も展示することにしています。その一部については、販売したいとも思っています。もちろん、地域社会への還元も考えていますよ」。

会津では他にも主要産業としては、印象的な城や侍の歴史を背景とした観光が挙げられる。

ところが、今年は放射線量が懸念される中、多くのツアー団体がこの地への旅行をキャンセルしてしまった。それも、会津若松は福島県にあるという理由だけだ。会津若松は地震や津波に見舞われた原発から内陸に100キロ入ったところにあり、その間には山脈が横たわっているので実際には影響がない。

「ほら、ここの放射線量は東京よりも低いのです」。会津若松市長の菅家一郎氏は、話をしながら、自分のデスクに置かれたガイガーカウンターの針が毎時0.03から0.06マイクロシーベルトの間を行き来しているのを指してそう言った。

「海外の大都市の背景放射線量をチェックすれば、ここよりも高いのが分かりますよ」。

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