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Highlighting JAPAN

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特集世界で活躍する日本人女性

世界で最も新しい国のために(仮訳)

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開発途上国の国連機関やNGOで働いている日本人女性は多い。その一人、アフリカで54番目の独立国である南スーダン共和国で働く千葉あずささんにジャパンジャーナルの澤地治が話を聞いた。

7月9日、アフリカで最も長い内戦を経て、南スーダン共和国が誕生した。その日、首都のジュバは歓喜の声で溢れた。

「国籍も肌の色も関係なく、街中で文字通り誰もが、笑顔で挨拶しあい、喜びを共有していました。もちろん私もです」と千葉あずささんは言う。

千葉さんは今年1月から国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)の事業評価担当官としてスーダンで働いている。

千葉さんは昨年まで、日本のNGOの職員としてジンバブエ、インドネシア、ミャンマー、ハイチといった14カ国で災害救援の活動を行ってきた。2006年から2008年にわたっては、スーダンで難民の帰還と彼らの生活再建を支援した経験を持つ。「地方の村に駐在し、人々と密接に関わる草の根の活動は本当にやりがいがありました。一方、道路、学校といったインフラ整備が遅々として進まず、失望した帰還民がまた難民化する現状を目の当たりにしました。スーダンの平和構築のためには、せっかく戻ってきた彼らが安心して定住できる環境が必要だと痛感しました」と千葉さんは言う。「インフラ、国造り、国家レベルの活動に関わってみたい、と思うようになり、国連機関への転身を決意したのです」

こうして昨年、千葉さんは国連のジュニア・プロフェッショナル・オフィサー・プログラムに応募し、UNOPSで働き始めた。

UNOPSは平和構築や人道支援、開発援助などの運営管理サービスを最前線で提供する組織として知られている。この6年で、UNOPSは南スーダンで48の学校、475kmの道路、30の警察施設を建設してきた。

千葉さんのUNOPSの職員としての仕事は、国連、各国、ドナーなどの拠出金によって実施されている道路や学校といったインフラ整備事業が、効果的、効率的、そして適正に行われているかをチェックすることだ。

国際援助の世界では、過去に多くの失敗例があった。例えば、先生のいない学校、地域住民が誰も修理の方法を知らずに建てられた校舎などである。千葉さんの役割は、ドナーの要求にそって、様々な指標を設定し、事業を監視、評価していくことだ。全てのプロジェクトは、地域の当事者意識、女性参画、地域住民への技術移転等、持続可能性を確保しなければならない。特にUNOPSの事業において、女性の地位向上は鍵となる要素の一つだ。南スーダンのような父系社会では、女性の声は軽視されてきた。

「私が女性であることは大きな利点です。同性である私は南スーダン人女性にとって,非常に話しやすい存在だからです。おかげで彼女たちの率直な意見を集めることが出来ます」と千葉さんは言う。

南スーダン人の誇り

千葉さんは独立後の南スーダンの急激な変化に目を見張っているという。空港前の湿地が駐車場になり、大通りには街灯が立ち並び、歩行者用道路も整備された。次々と2階建て、3階建ての建物が建設されている。

そうした中、千葉さんは南スーダン人としての誇りを持って仕事をする多くの人々に出会っている。例えば、ある道路工事の現場で働く女性たちから聞き取り調査をすると、彼女たちは「今は工事のお陰で現金収入があるけど、工事が終われば、それもなくなります。だから、この地域のみんなは、現金を外で使わず、村の中で使うようにしています。そうすれば、現金は地域内で廻り、地域経済が維持できます」と述べたのだ。

「私はそれを聞いて非常に感激しました。以前、私は、無料の食料配布を訴え、雇用機会の無さを嘆く、援助に頼りきりの南スーダン人を見てきました。しかし、今、人々は自ら仕事を作り出しています。そして力強く自立した女性たちがいます。注意深く現状を分析し、子供の将来のために計画をする母親たちがいます。こんな女性たちを見ていると、南スーダンは発展していくだろう、と思わずにはいられません」と千葉さんは言う。

東日本大震災が発生した時、千葉さんは人々の心遣いに感動したという。東日本大震災のニュースは大きく報道されたため、国籍を問わず多くの人から家族や友人の安否を気遣われたのだ。

また、良いニュースも分かち合った。ワールドカップでのサッカー女子日本代表の活躍も、メディアで大きく扱われた。決勝の翌日、千葉さんは会う人ごとに「日本女性は素晴らしい」「おめでとう!」「ジャパン、Oh Yeah!(これは南スーダンの独立記念日のときに、人々が”South Sudan, Oh Yeah!”と片手を挙げながら呼応していた挨拶のもじり)」と言われたという。

「私は長年、命の危険にさらされている人達が、元の生活水準に戻れる手伝いをしたいと思っていました。今回そうした機会を得ることができ、非常に嬉しいです」千葉さんは言う。「私の南スーダンでの任期は2年です。2年目からは、南スーダン人を後任として雇用し、彼らが事業評価担当官として一人前に働けるように育てていきたいです。この国は彼らのものです。最終的には全てを南スーダン人が出来るようにならなければなりません。援助をする側の私たちはそれを常に念頭において働くべきだと思っています。」

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