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Highlighting JAPAN

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やまとなでしこ

バングラデシュからブランドを(仮訳)

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山口絵理子氏は2006年、24歳の時に、バングラデシュで作ったバッグを日本で販売する会社「マザーハウス」を起業した経営者兼デザイナーだ。現地の人々と作り出す高品質のバッグ、衣服、マフラーなどの製品は消費者の心を掴み、マザーハウスは創業してから5年で、日本に7店舗、台湾に1店舗を構えるまでに成長している。「ビジネスを通じた社会貢献」、「開発途上国のブランド創造」を目指す山口氏は、2008年にダボス会議を開催するWorld Economic ForumからYoung Global Leaders に選出されるなど、若手起業家として国内外から高い評価を受けている。ジャパンジャーナルの澤地治が山口氏に話を聞いた。

──なぜ、バングラデシュでバッグを作ろうと考えたのでしょうか。

山口絵理子氏:アメリカのワシントンで、途上国向けの援助を行う国際機関で働いている時、実際に途上国の現実を見なければならないという気持ちになり、インターネットで「アジア」、「最貧国」と検索したところ、バングラデシュという国名がヒットしたのです。アメリカから帰国後、バングラデシュに渡り現地の大学院に留学することを決意しました。

バングラデシュで大学院に通っている時に働いていた日系の商社での仕事を通じて、ジュートと出会いました。ジュートは、バングラデシュとインドで世界の輸出量の90%を占める天然繊維です。もともとコーヒー豆を入れる袋などに使われてきました。耐久性があり、環境にも優しい素材なので、これを使って、自然な風合いを持った、かわいいバックを作り、日本で販売しようと思ったのです。バングラデシュの主流である低価格製品、大量生産製品ではなく、先進国のニーズにマッチした製品を、バングラデシュの人が誇りを持って生み出す。そうした会社を作ることが、バングラデシュの社会に貢献する健全で持続的な方法と考え、マザーハウスを設立したのです。

──高品質の製品を作るために、どのような努力をしているのでしょうか。

バングラデシュにあるマザーハウスの直営工場で働く人の賃金は現地の平均賃金の2倍、年金、医療保険、健康診断を実施するなど労働環境は現地トップクラスです。しかし、もっとも大切にしているのは、工場では、仕事について誰もが自由に意見を言えるようにしていることです。朝のミーティングでは全員が輪になって議論をします。発言することが、各人が責任を持つことにも、つながっていくのです。品質の高い商品を生産するためには、従業員自らが製品の作り手なのだという自覚を持つことが重要なのです。

マザーハウスの工場でサンプル制作を担当する職人は、「今の賃金よりも、もっと出すから来ないか」と、いくつもの工場から誘い受けていますが、彼は「マザーハウスでの仕事に誇りを持っているので、自分はここで死ぬまでここで働く」と言ってくれています。

──マザーハウスによって、現地のビジネスはどのように変化したでしょうか。

マザーハウスがファッションバックの素材としてジュートを使い始めて以来、ジュートのバングラデシュ国内での価格が上がっています。私たちと同じように、ジュートを使って、バックを作っている工場もあります。しかし、輸出できるようになったケースは、ほとんどありません。あるヨーロッパの国の企業は、バングラデシュでジュートを使ってバッグを作ろうとしましたが、品質の高い製品を作れず、結局、生産をあきらめています。ジュートは、縮みやすく、非常に扱うのが難しい素材なのです。私たちもいくつものサンプルを作り試行錯誤を続けて、ようやく納得がいく品質の製品を作れるようになったのです。

──マザーハウスの製品に対する海外での反響はいかがでしょうか。

日本のお客様の半分は、私たちの会社の製品が、どのような経緯で作られているかを知っていて買っていますが、台湾では、ほとんどの人がそうした経緯を知らずに品質やデザインの良さを気に入って買って頂いています。それは、私にとって非常に嬉しいことです。もちろん、お客様にマザーハウスの製品が、バングラデシュの人たちの力の結晶だということを知ってもらいたいです。しかし、ファッションというのは本来、人の心を楽しくさせるものであるべきと思ってます。だから、こちらから、製品の持つストーリーをお客様に押しつけて売ることはしたくないのです。

買った人が、Made in Bangladeshであることに気づき、弊社のHPを見て、そのストーリーを知るといった流れが、私にとっては理想的です。

──マザーハウスの今後について、お聞かせ下さい。

台湾で今後、1〜2年で5〜6店の店を出したいです。その次は、香港への出店を計画しています。将来は、やはりパリやニューヨークに出店したいです。それは私にとって大きな夢ですね!FurlaやPradaや Louis Vitton と肩を並べる日が来ると信じています。それに向けて、2011年11月に、直営工場を首都のダッカから郊外へと移転しました。工場の広さは2倍になり、従業員も約40名から100名に増やす予定です。工場には、イタリアから最新鋭の機械を導入しました。機械によって可能になる精密さと、手作りの暖かみをミックスさせて、もっとグレードの高い製品を作っていきたいです。

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