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Highlighting JAPAN

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和の心を受け継ぐ外国人

杜氏・フィリップ・ハーパー(仮訳)

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日本食のように、日本酒の人気も世界中で高まっている。しかし、フィリップ・ハーパー氏にとって、日本酒は単に楽しい飲み物以上のものだ。彼は、外国人唯一の「杜氏」である。松原敏雄が報告する。

「きっかけは純粋にお酒が好きだったから。日本に来るまでは日本語もまったく話せなかったし、日本酒を飲んだことすらありませんでした」と語るハーパーさんが京都府の日本海側にある京丹後市の木下酒造に杜氏として就任したのは、2007年のことである。

 日本酒は独特の「杜氏制度」のもとで造られる。酒造りのスタッフである蔵人(くらびと)を束ね、酒造りの全責任を負って取り仕切るのが杜氏だ。酒の味も品質も、杜氏一人の腕にかかっていると言っていい。

 かつて杜氏は、農作業の閑散期の仕事として農夫が務めていた。酒造会社のオーナーから要請を受け、やはり大半が農夫である蔵人を引き連れて、秋から春にかけて酒蔵(酒造りの作業場)に住み込んで日本酒造りに没頭する。仕事は年度ごとのフリーランス契約であり、オーナーとの相性や条件面などから、杜氏は複数の酒蔵を渡り歩くのが一般的だった。酒蔵ごとにオーナーが要求する酒の味も設備も異なるので、杜氏はその都度なにが最適な造り方かを試行錯誤しながら、独自の技を磨いてきたのである。

 ハーパーさんが蔵人として酒造りの修行に入った1990年代初頭は、この伝統的な杜氏制度が残る最後の時代だった。その後は酒造りにも合理化の波が押し寄せ、杜氏は酒蔵のオーナー家の家族や酒蔵の役員が担うようになっていく。その方が会社組織として安定するからだが、自分の酒蔵の技法しか知らず、酒造りに対する視野が狭くなってしまうという側面もある。ハーパーさんは古い杜氏たちのもとで修練を積んだ最後の世代だが、「それが何よりも貴重な財産になっている」という。

 2001年に「杜氏資格選考試験」に合格したハーパーさんにとって、木下酒造は杜氏として携わる2つめの蔵だ。ハーパーさんが木下酒造でまず手掛けたのは、彼が「自然仕込み」と呼ぶ、昔ながらの日本酒造りだった。

 明治時代以降、日本酒は仕込みの時点で雑菌の繁殖を抑える乳酸を添加し、さらに純粋な酵母を加えて造られるようになった。その方が品質にムラがなくなり、発酵の効率もよくなるからだ。「生(き)もと」と呼ばれる伝統的な手法では、乳酸は添加しないが、現在、ほとんどの蔵元では酵母は加えている。これに対してハーパーさんの自然仕込みは、乳酸も酵母も一切添加せずに「米、麹、水」だけを原料とするきわめて稀な前近代的な技法だった。発酵は蔵に数百年にわたって住み着いた天然の酵母に委ねるわけだが、その管理には細心の注意が必要となる。

「自然仕込みに特に固執したわけではなく、僕はとにかくいろんな日本酒を造る必要があるのです」とハーパーさんは言う。「だから一般的な技法はもちろん、今では行われなくなった江戸時代の技法も試さなければならなかったのです。どんな技法にせよ、それぞれの工程には妥協できないこだわりが山ほどあります」

 こうして木下酒造での初年度にハーパーさんが手掛けた日本酒は、全国新酒鑑評会でいきなり金賞を受賞し、一躍脚光を浴びた。そのとびきり清純な味わいが、最高級の評価を勝ち得たのである。

ハーパー氏が来る前まではほぼ100%を近郊エリアに出荷していた木下酒造は、この5年間で酒造量を倍以上に伸ばし、日本全国はもとよりアメリカ、イギリス、香港をはじめとする海外に輸出するまでの急成長を遂げるに至った。

「ワインの出来はブドウの品質で80%決まると言われていますが、日本酒の場合、米の品質が出来栄えに影響するのはせいぜい20%です。それだけ実に複雑な工程が必要となりますし、発酵が始まる前に、微生物が米をまったく違ったもの(米麹)に変えなければならないのです。そのためにはスタッフの“和”が欠かせません。決して抽象的な意味ではなく、人間関係がギクシャクした酒蔵のお酒は、間違いなく味が悪くなります」

 日本酒造りは農業に限りなく近いとハーパーさんは語る。人間のペースではなく自然の営みに合わせ、常に微生物の状態に細心の神経を注ぎながらチームとして最善の手を尽くしていく。日本酒造りにとって何が一番大切かを、ハーパーさんは伝統的な杜氏制度で学んだと言う。日本酒造りに入る10月から4月までの7カ月の間、ハーパーさんには年末年始も含めて休みは一切ない。オフシーズンに入っても、日本酒の魅力を伝えるための講演会等を海外も含めて精力的にこなしている。

「海外からも日本酒造りのチーフとして来ないかという誘いがいくつかありましたが、僕はやはり伝統のある日本で酒を造りたい。心身ともに疲れますが、本当にやりがいのある仕事ですよ」

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