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Highlighting JAPAN

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九州国立博物館(仮訳)

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ジュリアン・ライオールが、2005年に、日本の国立博物館としては、100年以上ぶりにオープンした、九州国立博物館を訪れた。そこでは、驚くほど幅広い展示品を通して、アジア文化が日本の発展に与えた影響を学べるのだ。

福岡という地は長年、アジア本土に最も近い地域のひとつとして、日本とアジアの玄関口であると自認してきた。そこに、東京、京都、奈良に続き、日本で4番目の国立博物館として2005年10月にオープンした九州国立博物館は、幅広いアジア史の視点から、日本文化の形成を解釈するというコンセプトのもと、テーマを選択し、活動を行っている。

その展示品は何世紀にもさかのぼるものであるが、5階建ての見事な博物館の建物は、完全にモダンで、展示された作品を守るために、あらゆる最新技術を活用している。

「この地域は考古学的な場所が非常に多くあるため、日本史すべてを理解するうえで、大変重要です」と同博物館の展示課長、赤司善彦氏は語る。

北は大宰府、福岡市、さらに博多湾を超える幅広い地域を含む、大きな航空写真を見下ろしながら、赤司氏は、1,350年前にさかのぼるものであるが、現在でもはっきりと見ることができるいくつかの重要なサイトを指し示した。たとえば、全長1.2km、高さ14m、壁と堀の防衛施設である水城だ。それは、664年、重要な町である大宰府近くの谷に建設されたものである。

「博物館の文化交流展示室では、文化的、歴史的に重要な作品800点が展示されています。これらはすべて、本物です」と赤司氏は語る。

「これらの展示品は日本史、あるいは九州地方の歴史を伝えるだけではなく、アジア文化交流の歴史でもあります」と赤司氏は続ける。「私たちは、外国の文化を集め、吸収することによって、どのように日本の文化が独自の個性を形成してきたかを探りたいと思います」

同博物館のエントランスは、エレガントな曲線を描く屋根を持った、印象的なアトリウム風のホールである。1階には、講堂のほかに、「あじっぱ」がある——この広場は「アジアの原っぱ」から名づけられたもので、子どもも大人も、マレーシアの指人形から沖縄の楽器、インドネシアの面、ヒマラヤ王国の凧や民族衣装まで、東アジア全域の日常的な雑貨などを体験することが推奨されている。

4階は文化交流展示室で、「海の道、アジアの路」というテーマのもとに、5つのセクションで構成されている。

中央エリアを取り囲むようにレイアウトされた文化交流展示室は、キュレーターが、定期的に展示を移動・交換することができるように巧みに設計されており、また、繊細な照明によって、作品をこの上なく美しく見せている。

来館者は最初に、先史時代の縄文時代(紀元前13,000〜300年)に案内され、現代の九州にあたる地域で暮らしていた、狩猟・採集を営む最初の住民の生活を描いたビデオを紹介される。また、9万年前の阿蘇山の大噴火で噴出した火砕流が九州の大部分を襲い、数メートルの深さに達したことを示す資料も展示している。

近くの展示ケースには、朝鮮半島、シベリアやアジア本土の他の地域を起源とする3万5千年前の石器が展示されており、はるか昔にさかのぼる、この地域の貿易のつながりがわかる。

次のセクションは、水田稲作文化の到来に関するもので、保存状態の良い弥生時代(紀元前300年〜西暦300年)の木製品が展示されている。また、福岡県糸島市で発掘された1世紀の墓に基づき、中国から輸入された鏡、そして、槍とともに、弥生時代の王の埋葬に使用された大きなつぼを復元した展示品もある。

文化交流展示室の第3セクションは、遣唐使の時代を検証する。この時代は、中東から金属細工品やガラスを運んだシルクロードに沿った地域を含め、アジア本土の各王朝と貿易および政治的な提携が結ばれた。

展示品には、1281年、「神風」によって破壊された日本侵攻の艦隊であるモンゴル船の一部、名工・来国光の14世紀の刀、大きな陶器の壺の中で発見された10万枚の銅の硬貨が含まれる。これは、所有者が大量の硬貨を壺に入れて埋め、その後取りに戻らなかったものだという。

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