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Highlighting JAPAN

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特集世界に広がる日本のサービス

パリの日本人ギャルソン(仮訳)

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パリの名物の一つと言えば、カフェだ。そのパリのカフェで働く日本人ギャルソンを紹介する。

創業1885年、パリの老舗カフェの「カフェ・ド・フロール」は、パブロ・ピカソ、ジャン・ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、セルジュ・ゲンズブールといった数々の作家、芸術家に愛されてきたカフェだ。

フロールでは白いシャツ、黒のベスト、黒の蝶ネクタイ、白のタブリエ(エプロン)を着こなしたギャルソンが、コーヒーやワイン、クロックムッシュを載せた盆を片手に、テーブルの間を縫うよう歩きながら、エレガントに給仕をする。その姿をサルトルは「フロールのギャルソンは、フロールという舞台で毎日フロールのギャルソンという役を演じている俳優だ」と評している。

フロールのギャルソンの収入は、自分が受け持つテーブルでの飲食代の15%とチップのみだ。今では、フランスのカフェで、こうした歩合制の給与体系を続けているカフェはほとんどない。固定給のないフロールのギャルソンは、まさしく身一つでの勝負である。1日10時間以上動き続ける体力、客の要求を素早く感知する感受性、会話で客を喜ばせる知性など、あらゆる能力がなければ、フロールのギャルソンは務まらない。

そのパリを代表するカフェで働く20名の常勤のギャルソンの中で、唯一の外国人が山下哲也氏だ。

「『より速く、より強く、より美しく』をモットーに、お客様の五感を刺激できるようなサービスを目指しています」と山下氏は言う。

山下氏がギャルソンに興味を持つようになったのは、大学生の時、東京にあったカフェ・ド・フロール表参道店でアルバイトをしたことがきっかけであった。やがて、パリのフロールで働くことを夢見るようになり、2002年にフランスに渡った。そして、2003年夏にフロールの非常勤のギャルソンとなり、2005年に、フロールの創業以来、フランス人以外で初めて、常勤のギャルソンに抜擢されたのだ。

「『日本人にカフェのギャルソンが出来るわけない』という偏見もありました。そうした中、日本を背負う覚悟でギャルソンをしています」と山下氏は言う。 そうした山下氏を、フロールの支配人、同僚のギャルソン、そして、多くの客が応援している。東日本大震災後には、ほとんど全ての常連客から連日、「家族は大丈夫か」と声を掛けられた。

「人々の愛を実感させられっぱなしでした」と山下氏は言う。

山下氏は、一日で50〜150組を給仕する。山下氏は、自らの五感を総動員して、客の動きを察知し、無駄なくサービスを行う。例えば、タバコを吸う客に対しては、テーブルのどの位置に灰皿を置くべきかを瞬時に判断する。1日の仕事を終えた時にも、その日のお客からの注文はすべて憶えている。「すべてを見て、すべてを記憶し、すべてを見破り、残りを推察するけど何も語らず」と山下氏は、ギャルソンの極意を表現する。

「フランスの文化的財産の継承者として、また同時に、本当のカフェの素晴らしさを日本に伝える伝承者として、カフェのギャルソンを一生の仕事として続けてゆきたいです」と山下氏は言う。

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