Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2012年11月号 > 最先端の本真珠(仮訳)

Highlighting JAPAN

前へ

連載|Japan Brand

最先端の本真珠(仮訳)

  • English
  • Chinese

有限会社小松ダイヤモンド工業所は、真珠をカットする技術の開発で世界の宝石市場を取り巻く環境を大きく変えた。ギャビン・ブレアが報告する。

ダイヤモンドカット技術の歴史は中世後期にまで遡ることができるが、真珠をカットする技術の開発に成功した企業は世界で一社しかない。それは、山梨県甲府市に拠点を構える有限会社小松ダイヤモンド工業所である。

小松ダイヤモンド工業所はそもそも、日本の主要電機メーカーのひとつへダイヤモンドを供給していたが、1990年代に入りその事業に陰りが見られるようになったとき、創業者は真珠をカットするアイディアを思いついた。

「1995年に東京で開催された国際宝飾展に初めて出展したとき、ファセット・パール(カット面のある本真珠)は多くの注目を集めました」。小松ダイヤモンド工業所の創業者の二代目であり、現在会社を経営する小松一仁氏はこう語る。実際、展示会開催中、同社のブースには興味を持ったバイヤーが殺到したため、同社は多くのサンプルを用意しなければならないほどだった。しかしながら、そうしたバイヤー達の関心を持続可能な事業へ繋げるのは―少なくとも当初のうちは―予想以上に難しいものだった。

「真珠のように何も手を加えなくても本来美しいものを何故カットしたいと思うのか、多くの人が私たちにその理由を問いました。実際のところ、すぐに当社が開発したファセット・パールの販売に心底興味を抱いたのは、最初のうちは米国の一人のバイヤーだけでした」と小松一仁氏は回想する。

オーストラリアやタヒチ、そして日本やフィリピンで採取された真珠を使って様々なデザインや形を創造するために、小松ダイヤモンド工業所はカット法に磨きをかけ、その技術をさらに進化させた。カット法の詳しい中身は、当然のことながら企業機密とされており、公開はされていない。

『華真珠』と命名されたファセット・パール。それは、小松氏いわく、本来の色調を生かしつつ、真珠本来が持つ美しさを一層際立たせたいという願いから誕生したものである。


創意溢れた真珠

小松ダイヤモンド工業所は、1960年代後半に設立された。当時近隣のダイヤモンド研磨工場に勤務していた先代の小松氏が、宝石加工の分野で長い歴史を誇る山梨県甲府市の伝統的な職人技を生かしたいと思い独立を決意したのが創業のきっかけだ。世界大戦当時に政府の戦費調達のために日本国民が供出した宝飾類の中で残ったダイヤモンドの在庫を当時の大蔵省が売却した時に、小松ダイヤモンド工業所はスタートを切った。ダイヤモンド研磨は、真珠をカットする技術が開発されるまで、小松ダイヤモンド工業所の主力事業となった。

「真珠関連事業は、今ではわが社の事業の90~95%を占めています」と小松氏は語る。

小松ダイヤモンド工業所の事業構成は、現在、国内外から依頼された真珠の研磨が最大部分を占めている。海外売上高比率は今年初めて40%を超える見込み。小松氏によれば、小松氏をはじめ職人たちは現在、依頼された真珠の研磨作業に忙殺され、最近は、独自のデザインを創造する時間が殆どとれない状態だという。

小松ダイヤモンド工業所がこれまでに手がけたオリジナル・デザインのひとつに、サッカーパールがあげられる。これは、日韓共催となった2002年FIFAワールドカップを記念して作られたものである。サッカーボールの形をした記章のひとつ―バッジのように身につけることが可能―は、ワールドカップ開催中に甲府周辺を訪れた伝説的なサッカー選手ペレ氏に贈呈された。

サッカーパールは、伝統的真珠宝飾品に挑む、新しく大胆なものだと感じた。熱烈なサッカーファンの私としては、それらの製品の中に自分の地元のJリーグチームのチームカラー色が無く残念だった。もしあったとしたら、買いたいという衝動を抑えられたかどうかわからない。

小松ダイヤモンド工業所が手がけた独創性に富んだ作品『ダブルリフラクションカット』は、米国で開催されたジェムストーンカットコンテストGemmys 2009で宝石カット部門第1位を獲得、また国内においても同年のものづくり大賞(伝統技術の応用部門 内閣総理大臣賞)を受賞している。

ファセット・パール『華真珠』は現在、アジア、欧州そして米国で販売されている。小松氏によれば、中国、香港そして台湾では特にゴールドカラーの真珠の人気が高い。

まだ30代後半の小松氏。父親が開発した匠の技、そして彼がその技を世界的ビジネスへ発展させることができたおかげで、世界中の人々と出会える機会に恵まれたことを大変光栄に思うと小松氏は語っている。

前へ