Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2013年1月号 > 愛知県/秋田県(仮訳)

Highlighting JAPAN

前へ

連載|47の物語

愛知県/秋田県(仮訳)

  • English
  • Chinese

愛知県:八丁味噌

ロブ・ギルフーリーが愛知県の八丁味噌のメーカーを訪れる。

刺激的な甘い香りが杉の大桶から漂ってくる。これだけ大きいと古い工場の洞窟のような部屋が小さく見える。桶の中では薄青色のオーバーオールと白いゴム長靴に身を固めた職人が中身をスコップで掘り、繰り返しスコップ一杯分の宝物を発掘している。重量感のある赤茶色の物質 — これは日本を代表する食材である。

このファッジのような食材は味噌。日本の台所に欠かせない食材で、スープやソース作りに使われる。西洋料理で言えばブイヨンのような位置付けだ。ただし、愛知県岡崎市の八帖地区で作られる味噌は、他の味噌とは一線を画する。

八丁味噌は、愛知県三河地方の岡崎で350年以上作り続けられ、1901年から宮内省御用達となった。

昔も今も、八丁味噌を製造しているのは2社であり、その一つが「まるや八丁味噌」である。「まるや八丁味噌」は1337年から醸造業を始めており、日本で最も古い歴史を持つ味噌製造業者の一つといわれている。

代表取締役の浅井信太郎氏によると、同社がかくも長命である理由は、現存する記録からみて数百年間変わらない伝統的製法を頑なに守り続けてきたことにある。

蒸した大豆をつぶし麹菌を加え、塩と水を混ぜて、前述の巨大な桶で2年間発酵させる。「第二次世界大戦中に価格統制令が敷かれた際、味噌の価格も決められてしまいました。しかし、まるや八丁味噌はこの価格では品質を守れないという理由で、製造を中止したのです」と浅井氏は言います。「この基本的な理念は、現在も当社の礎であり続けています」

同社の最高級の八丁味噌には、地元、三河産の大豆と近隣の山間部に湧く天然水を使用している。この湧水の漢字名は「神の水」を意味し、その品質の高さは古くから広く知られていると浅井氏は言う。

味噌を入れた桶に封をした後、総重量3トンにもなるおよそ500個ほどの川石を桶の上に円錐状に積み上げる。これも独特の特徴だ。石を均等に積み上げることにより、桶一杯6トンの味噌が均一に仕上がる。

同社は年間1200トンの味噌を製造しており、その中には米味噌をブレンドした日用の製品も含まれる。同社が製造する八丁味噌のうち10%程度がフランスやイギリスなど20カ国に向けて輸出されている。

日本で昔からそうであったように、海外の料理人も、従来の料理の風味を増す調味料として、あるいは新しい料理のインスピレーション源として八丁味噌に注目している。また、マクロビオティックを実践する人たちは健康に良い低塩分の味噌を愛好していると浅井氏は言う。

愛知県基礎データ
愛知県は中部地方の県の一つで太平洋側に位置する県。古くから陶磁器など、ものづくりが盛んな地域。現在も、自動車、鉄鋼、食料品などの生産が多い。
人口:約741万人
面積: 5,163平方キロメートル
県庁所在地:名古屋市
県の日本一:イチジクの生産高、製造品出荷額(34年連続)

他の愛知県のオススメ
常滑焼:常滑焼は常滑市を中心として焼かれる陶器で、約1000年の歴史を持つ。壺、甕、急須、湯飲、土管など様々な製品として使われている。
犬山城:犬山市の犬山城は1537年に木曽川のほとりに建てられた。国宝に指定されている天守閣は現存する日本最古ものである。

八丁味噌レシピ
かぼちゃ味噌ハニー:かぼちゃに、ハチミツ、八丁味噌と米味噌を合わせた「赤だし味噌」で煮詰めた料理。
1. かぼちゃ(350g)を3cm角の大きさにカットする。
2. フライパンに切ったカボチャを並べ、かぼちゃが半分浸る程度に水を入れて、強火にかける。沸騰したら弱火で、かぼちゃが柔らかくなるまで煮る。
3. それに、赤だし味噌(20g)、はちみつ(20g)、水(100cc)、クミンパウダー(少々)を混ぜたものをに入れ、煮詰める。


秋田県:康楽館

ロブ・ギルフーリーが秋田県の康楽館を訪れる。

康楽館の木材。その奥には歴史を見いだすことができる。階段、手摺子、手摺は年季が入り、大理石のような光沢が出ている。柱や羽目板には、1世紀以上も前に生きていた人々の名前が刻まれ、その部分が黒色で塗られている。構造全体で使われているのは、香りも高く耐久性に優れた秋田杉。秋田杉は、1970年代に日本が台頭して経済力を得た後にほとんど絶滅してしまった。

この建物自体が負っている宿命というものがある。秋田県小坂町にある康楽館は現存している中で日本最古の木造の芝居小屋であるが、戦後の経済的奇跡の影にすっかり隠れてしまった。

「60年代にテレビが普及して映画が一般に広まると、人々が芝居小屋にまで出かけることにあまり魅力を感じなくなりました」と、芝居小屋館長の髙橋竹見氏。康楽館は1970年から16年休館を余儀なくされたそうだ。「当時の所有者は康楽館を単に古い建物とみなして、取り壊すべきだと考えていましたが、歌舞伎役者やここの舞台に上がった方々がやってきて、この芝居小屋は国宝だと言って、皆を説得してくれたのです」

それからさらに30年の月日を要して、ようやく2007年にこの芝居小屋が国の重要文化財と認識されるに至ったのである。

康楽館は、当時最も活気があり、技術が進歩していた町で1910年に開館した。康楽館の近郊にある小坂鉱山は19世紀後半と20世紀前半には日本でも有数の銀の産地であり、鉱山労働者に娯楽を提供するために建設された芝居小屋が康楽館だった。また、康楽館に隣接する、贅を凝らした木造事務所である「小坂鉱山事務所」も、小坂の町の象徴となり、現在にまで存続し、2007年には康楽館同様、国の重要文化財として認められた。

康楽館の最盛期には、1,000人もの観客が、小屋の桟敷席や1階席に満杯となり、旅回りの劇団の演技に夢中になった。

当時の他の芝居小屋とは異なり、この小屋の照明は、ろうそくや自然光ではなく、電灯が使われていた。鉱山に電気を供給するために作られた水力発電所があったお陰である。

小坂町の人口は最も多い時で35,000人に達した。現在の6倍の数字である。町内の560箇所に給水栓が設置され、鉱山労働者が怪我をした際に家族を支える社会福祉制度まであった。夜には、住民が康楽館で休養兼娯楽を楽しみ、文字通り「健康的な楽しみの館」であった。

芝居小屋の木製引き戸をくぐると、タイムスリップしたような感覚を覚える。建物正面は西洋風ではあるが[日本があらゆることを外国から取り入れようと躍起になっていた明治時代(1868〜1912年)の流行を反映]、内部は日本が鎖国していた封建時代(江戸期)に戻っている。杉で構築されたやわらかな色合いに、薄青色の天井がアクセントを添えている。ヨーロッパ流エレガンスを模した天井には電気の照明がついているが、それまで電灯は日本の多くの地域社会では誰も見たことのないものであった。

伝統的な歌舞伎小屋を飾るあらゆる装飾品が見られるが、芝居小屋オリジナルの2トンの回転舞台などもあり、これは今でも4人がかりで動かしている。

舞台の裏側は楽屋になっていて、この芝居小屋でも最もユニークな特徴を備えている。落書きがしてあるのだ。「100年前ここで最初に出演した歌舞伎役者が刷毛と墨で自分の名前を壁に書いたのです」と髙橋氏は説明する。「この落書きは、他の劇場では眉をしかめるでしょうが、康楽館ではこの伝統が今日まで続いているのです」

康楽館には8ヶ月の公演シーズン期間中に約56,000人の芝居ファンが訪れるという。

秋田県基礎データ
秋田県は東北地方の県の一つで日本海側に位置する。自然豊かな県として知られ、世界遺産の白神山地、天然の杉が有名。日本では「秋田美人」という言葉があり、秋田県には美人が多いと言われている。
人口:約106万人
面積:11,636平方キロメートル
県庁所在地:秋田市
県の日本一:田沢湖の深度(423.4メートル)

他の秋田県のオススメ
大館曲げわっぱ:天然秋田杉の均一で美しい木目を活かした国指定の伝統工芸品。軽量でありながら強度と弾力性に富んでいる。弁当箱として使われることが多い。
きりたんぽ:お米をつぶして棒状にし、こんがり狐色にやいたきりたんぽを、鶏、マイタケ、セリなどと煮込んだ鍋料理。

前へ