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Highlighting JAPAN

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連載|世界で活躍する日本人

日本の伝統が織りなす現代ファッション(仮訳)

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「世界で活躍する日本人」は、世界各国で、現地の人々の生活に溶け込みながら、様々な分野で活躍する日本人を紹介するシリーズ。シリーズの第1回目は、オーストラリアを拠点として国際的に活躍する京都出身のファッションデザイナー、五十川明氏。その和風のデザインが高く評価され、ニコール・キッドマンやケイト・ブランシェットなどの著名人も愛用する。ジャパンジャーナルの澤地治が五十川氏に話を聞いた。

五十川氏は現在、オーストラリア国内に4店舗の直営ブティックを持つほか、日本、フランス、アメリカなど10カ国以上で彼のコレクションが販売されている。毎年、春と秋のパリ・コレにも出展する。五十川氏は世界的なファッション誌「ヴォーグ・オーストラリア」によると、「オーストラリアで最も著名かつ成功したファッションデザイナーの一人」だ。

「ファッションには、中学生の頃から興味を持ち始め、夏休みにアルバイトをして貯めたお金で自分の服を買っていました。京都のコム・デ・ギャルソンの店に行った時に、衝撃を受けたことは良く覚えています」と五十川氏は振り返る。「その時、私は高校1年生でしたが、店に陳列された大胆なデザインの服、洗練された店の雰囲気など、これまでの自分の世界にはなかった、未知のものだったのです。近寄りがたいけど、そのファッションをもっと知りたいという気持ちになりました」

しかし、当時はまだ、ファッションデザイナーになる夢は持っていなかった。特に確固とした目標もなく、京都の大学に進学する。しかし、1986年、20歳の時に、友人に誘われ、ワーキング・ホリデー制度を利用して、オーストラリアに渡ったことが、転機となる。

「オーストラリアに行くことを決めたのは、未知の世界への興味です。オーストラリアにいとこが暮らしており、彼から私に届く手紙を読んでは、はるか彼方の外国へのあこがれを抱いていました」と五十川氏は言う。「オーストラリアに渡った頃はファッションを勉強する考えはなかったのですが、自分で着たい服になかなか出会えず、自分で服を作りたいと思うようになったのです」

五十川氏はいったん日本に帰国した後、再びオーストラリアに戻り、シドニーのTAFE(Technical and Further Education)で3年間、ファッションの勉強をする。卒業してから2年後、アルバイトをして貯めた資金を元に「Akira」というブランド名で1993年に最初の直営店をシドニーに開店する。日中は店に立ち、合間を見ては副業として、日本人旅行客のツアーガイドとして働いた。夜は服を作るだけではなく、夜間学校で経営を勉強するという日々が続く。服の販売は思わしくなく、開店して2年目が経つと、家賃が払えないほど経営状態は悪化していった。

しかし、開店から3年が経った1996年に大きな変化を迎える。同年、オーストラリアン・ファッション・ウィークで新人賞を受賞し、徐々に雑誌で彼のファッションが取り上げられるようになる。そして、1997年にはオーストリア版の「ヴォーグ」の表紙を、デザインした服を着たナオミ・キャンベルが飾ったことで、五十川氏はオーストラリア国内で広く知られるようになった。1998年にはパリ・コレに参加、1999年にはオーストラリアのファッション界の最高賞「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。

五十川氏のファッションは和風の要素が特徴となっている。服と体の間にゆったりとした空間を持ち、絹や綿の生地が揺れるようなデザインだ。これは、日本の伝統的な着物の特徴と言える。実際、京都の蚤の市で購入した着物の古着をリメークして作られる服もある。京都の絞り染めによるスカーフ、折り紙のデザインを取り入れたバッグといった作品も作っている。

「私の家族、親戚は伝統を重んじていました。私をかわいがってくれた祖父母はいつも和服を着ていましたし、伝統的な年中行事を、祖父母の家に親戚一同が集まって行っていました。そうした生活の中で、日本、京都の伝統が自然と体に染み付いていたのです。オーストラリアと京都は文化も歴史もまったく異なります。しかし、だからこそ、私のファッションデザインが新しいものとしてオーストラリアで際立ったのでしょう」と五十川氏は言う。「今後、商業的な成功を追い求め、店舗数を増やすつもりはありません。自分が本当に作りたいと思うものを作っていきたいです。例えば、今は絨毯、椅子、クッションの柄のデザインもしています。服だけではなく、違う分野にも自分のデザインを広げられればと考えています」

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