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連載|世界で活躍する日本人

ラオスの手仕事の布を残す(仮訳)

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東南アジアのラオス在住の谷由起子氏は、10年以上にわたって、ラオスの少数民族の人々と手仕事の布を作り続けている。澤地治が報告する。

谷由起子氏が、ラオスの北部、中国との国境に近いルアンナムターを初めて訪れたのは1999年。訪れた村には、電気も水道も通ってなく、少数民族の人々が食糧、衣服などのものを自ら作り出しながら、ほぼ自給自足の生活を送っていた。そうした人々の生活に、谷氏は強い衝撃を受ける。

「彼らは、自然の恵みを活かし、知力と体力を使って、生きるための全てを自分で賄っていたのです。彼らこそ『真に自立した人』と思ったのです」と谷氏は言う。「私は、そうした人たちに惚れ込んだのです」

特に谷氏が引きつけられたのが、少数民族の女性達が手作業で作る布織物だった。布を作るための糸を彼女たち自身が当たり前のように作っている姿に最も強い関心を持った。

しかし、既に当時、ルアンナムターにも貨幣経済が浸透し始め、お金を払えば簡単に衣服が手に入るという社会に変わりつつあった。

「かつては誰でもできた、糸を自らの手で作り、布を織るということが今、世界から消えつつあります。言わば、『生きている化石』のような手仕事がまだここには生きていたのです」と谷氏は言う。「貨幣経済が広がる中、彼ら自身が気づいていない、その手仕事が生み出す力で勝負をしてもらいたい。そして、それに自分自身が関わってみたいと考えたのです」

谷氏は日本での塾講師の仕事を辞め、2000年、単身ラオスに渡り、ルアンナムターで暮らし始めた。そして、2002年にラオスで現地法人H.P.E(Handicraft Promotion Enterprise) を設立、日本への布製品の輸出を始める。

ラオスに渡った当初、谷氏は現地の言葉がまったく話せなかった。言葉が通じないもどかしさを痛烈に感じ、辞書を片手に言葉を覚えた。村人の言葉を超えた理解力の高さに助けられつつ、試行錯誤を繰り返しながら布作りを進めた。糸から布になるまですべての工程を、自然の恵みと村人たちとともに作っていくことは谷氏にとって至福の時間であった。

時には、日本の古い技術を活かすこともあった。撚糸した絹糸の生産量を上げる必要に迫られていた時、日本で偶然、江戸時代(1603-1867)末期に作られた撚糸機と出会う。この撚糸機は、ルアンナムターの村の撚糸機と原理は同じであったが、それよりもはるかに多くの撚糸が可能だった。しかも、手動なので電気の通っていない村でも使うことが出来た。谷氏は2機を譲り受け、日本のアパレル企業の支援を受け、ラオスに運んだ。その後、村人はこれをモデルに自ら撚糸機を作り出し、撚糸の生産量を格段に増加させている。

ラオスには50あまりの少数民族が暮らしているが、谷氏は主に3つの少数民族とともに布製品を作っている。レンテン族は綿花を育て、糸を紡ぎ、布を織り、藍染めをし、手縫いで仕上げる技術に優れている。クロタイ族は蚕を育て、繭から生糸を作り、絹織物を作ることが得意だ。そして、カム族は葛の蔓から繊維を取りだし、糸を作り、非常に細かい編み物を作り出す。各民族がもともと持っている魅力をできるだけ損なわぬように、何を生産するかを決め、生産までの過程を見直し、そのためのリスクは負い、最後まで売り切り、小さい規模ながらも、手仕事を貨幣経済の循環に乗せることがH.P.Eの役割である。

そうした生み出された一つが、レンテン族が作る豆敷(コースター)だ。村人が、藍染めされた木綿の布に自由に刺繍を施しており、どれ一つ同じものはない。

「売れるものを作るためには小さく楽しいものが必要です。レンテンの人は刺繍ができるので、こちらが指定したものを刺してもらうのではなく自由にやってもらおうと考えました。凝ったものも、雑なものも全て買い取りながらも、それぞれ価格を変えれば、どういうものを作るかを、皆自ら考えるだろうと思いました」と谷氏は言う。「私が頼まなくても豆敷の作り手が増えていきました。村人にとって、気軽で楽しく、またその時の頑張りで価格が変化するということは刺激にもなっているのでしょう。お菓子代やたばこ代など、ちょっとしたお金が必要な時に、老若男女あらゆる人が作っています」

谷氏が移り住んで10年以上が経つルアンナムターは今、大きな変化の中にいる。舗装道路を拡張する工事がいたるところで行われており、町や村の公の建物も個人の家も近代的な建物や家へと建て替えられている。

「こうした発展の中で、手仕事を残すことはとても困難なことだと思っています。しかし、人間は本来、自然の恵みの中で身体能力をフルに使って生きてきました。そうした力を捨ててしまってよいのだろうかということ考え続けています」と谷氏は言う。「私は村人の手仕事が心から好きで、残したいと思っています。そのためには、私自身がどこまでこの布作りにこだわり、どこまでその源流に近づき身をおけるかどうかというところに『光』があるような気がしています。今後、それができるかどうか、自分への挑戦です」

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