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Highlighting JAPAN

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連載|47の物語

青森県/千葉県(仮訳)

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青森県:桜と漆器

ロブ・ギルフーリーが青森県の城下町弘前とその近郊にある津軽を訪れた。

まるで羊毛のキルトのような真っ白な雪に覆われた弘前城の敷地に足を踏み入れると、この上なく穏やかな静寂が広がる。聞こえるのは、シジュウカラの楽しげなさえずりと、時折重みに耐えきれなくなった木の枝から落ちる雪のドスンという音だけである。

どこを見ても人の気配はなく、そのため堀内弦氏の言う4月の終わりの光景を想像するのは一層難しく感じられる。樹木医の堀内氏によれば、その頃になると、50ヘクタールの広さを持つこの公園は、白に代わってさまざまな色合いのピンクに覆われ、誰もが知っている日本のシンボルを称えようと集まった旅人たちで埋め尽くされるという。

弘前城と城内の植物園には2,600本を超える約70種類の桜が植えられており、その中には日本最大の幹周を持つソメイヨシノもある。また、その2,600本のうちの1本は、130年前に、ある元武士が植えた1,000本のソメイヨシノのうちの1本であり、日本最古のソメイヨシノであることが記録から明らかになっている。

しかし、ここにはそれよりも古い桜がある。二の丸地区をはじめ園内にある正徳桜は、3世紀前に植えられたものである。「1715年にある武士が、当代有数の教養人でもあった大名を喜ばせようと、京都から25本の桜の苗木を持ち帰ったのです」。堀内氏はこのように述べ、さらに、かつて津軽氏の居城であったこの城が2011年に400周年を迎えたことにも触れた。

現在ではこれらに加え何百本という桜が、かつての将軍の陽気な臣下たちだけでなく、はるかに多くの人々を楽しませている。桜の季節には毎年、推定200万人を超える人々がここを訪れ、風の吹きつける郭内の小道をゆっくりと散策し、あるいは桜並木の西堀では、花の下でボートを楽しむ。堀の城側には両側に桜が立ち並ぶ小道があるが、これはおそらく日本で最も壮大な桜の「トンネル」であろう。

このように桜の木が最初に弘前城内に植えられたのとほぼ時を同じくして、弘前には最も独特で最も有名な工芸品が登場した。津軽塗は、父の意思を継いで日本の首都であり現在の東京にあたる江戸で漆器の制作を学んだ池田源太郎によって、1700年代初頭にこの町にもたらされた。

「特に長い冬には、地方の状況は厳しく、飢え死にすることも珍しくありませんでした。そのような中、新たな産業を興そうという運動が始まったのです。そして、漆器もその1つとなりました」。市立博物館の棟方隆仁氏は、こう語る。

漆器産業はその後、「馬鹿塗」として知られることとなる、世界でも他に類を見ない丹念な工程による革新的な技法を取り入れながら花開く。博物館には、職人が手掛けたデザインは500種類以上に上ったことを伝える資料が残されており、当時の人気がうかがえる。「津軽は、現在日本国内でも注目を集めている漆器産地の一つです」と、棟方氏は言う。

棟方氏によれば、弘前には昔の津軽塗の技法・デザインを現代に復元する取り組みを行っている職人が30人程度いるが、彼らが手掛ける技法は現在では4種類にまで減ったという。最も有名なのは、おそらく「唐塗」だろう。何度も塗装を繰り返し、さまざまな色の漆を何層にも重ねることにより、大理石のように仕上げたものである。

技法は減少したが、漆塗りが施されるアイテムの種類は増えつつある。弘前にある木村正人氏のアトリエでは、漆専用の乾燥室の中に、箸などの伝統的なアイテムとともにスマートフォンのカバーやコンピューターのマウスが並べられている。これは、工芸品の魅力を広め、若者を育てることによりそれを継承していこうという地元の取り組みの一環である。

「近年その取り組みが始まるまでは、半数を超える職人が65歳以上で、私が最年少でした」。47歳の木村氏は、歩き始めたばかりのころに家業を手伝い始めたという。「現在、見習いには20代の若者もおり、斬新なアイデアが生まれています」

木村氏は地元の3人の職人とともに、つがる漆スピリット合同会社を設立。海外にも製品を紹介したいと、ドイツ、イタリア、フランス、米国などで展示会にも出品している。

「津軽塗が西日本でも十分に認識されているとは言えない中、なぜ国外に目を向けるのかと不思議に思われるかもしれません」。つがる漆スピリットの代表である今照芳氏はこう述べながら、唐塗の技を披露した。「しかし、海外で注目を集めたことで、日本でも再び関心が集まり始めています」

青森県基礎データ
青森県は、本州の最北端に位置する。全国有数の農業県。土地や気象の特性を生かし、主に県西部では米やりんごづくり、県南東部では野菜づくりや畜産が盛んに行われている。
人口:約137万人
面積: 約9,644平方キロメートル
県庁所在地:青森市
県の日本一:りんごとにんにくの収穫量


千葉県:房州うちわ

ロブ・ギルフーリーが千葉県南房総市の房州うちわ工房を訪れた。房州うちわ作りはとても美しい。しかし、その姿が失われようとしている伝統工芸品である。

千葉県房総半島の端の緑豊かな場所に建つ宇山正男氏の工房から、「ドスン、ドスン、ヒュー」という音が漏れ聞こえてくる。畳の上に胡坐をかいて座り、スリークォーター・ムーン(4分の3の大きさの月)の形をした布地を、熊手の形をした竹製の骨組みに取り付ける。小さなはけを使って、数回たたいて布地を骨組みにしっかりと固定させる。そして、熟練した目で仕上がり具合を確認した後、乾燥させる――これは、宇山氏がこの63年間続けてきたうちわ作りの最終工程である。

宇山氏は現在 81歳。房州うちわの製造に携わるようになったのは10代の頃。宇山氏が10代の頃と言えば、凝った装飾を施した、折り畳み式ではないうちわが何百万本と製造されていた時代である。しかし、今日、うちわ作りの熟練職人は僅か5人だけ。宇山氏はその5人のうちのひとり。うちわ作りの全工程をひとりでこなすことができるのは、宇山氏を除いて他にはいない。

一筋縄ではいかないうちわ作りは、原料である竹の「伐採」から始まり、「皮むき」、「割竹」(さきだけ)、そして様々な模様がプリントされた高品質の和紙や凝った装飾がほどこされた布地を骨組みに取り付ける「貼り」の作業など、独特な21の工程から成る。

「火をおこしたり、虫を追い払うために、うちわが広く使われた時代がありましたが、今日、うちわが使われるのは装飾用目的の場合がほとんどです」と語る宇山氏。「変わったことは多々ありますが、うちわの製造工程だけは今も昔と変わりません」。

房州うちわの起源は、今から200年以上前の江戸(江戸とは、今日の東京を指す)に由来すると言われている。江戸の中心であった日本橋が卸問屋で賑わった江戸時代(1603–1867年)の後期、別名「江戸うちわ」とも言われた房州うちわは、広くもてはやされた。

うちわの原料としては、伝統的に女竹が使われる。女竹は、節が少なく、柔軟性に優れた品種であり、房州――明治の廃藩置県まで「安房国」と言われた地域で、今の千葉県房総半島の南部にあたる――で容易に入手できる品種でもある。1870年代には、房州はうちわの生産拠点に発展しており、うちわ作りに携わる人は当時1000人以上いたという。そのほとんどは農家や漁師のおかみさんたちで、内職としてうちわの骨組みを竹で編んでいた。

うちわ産業に転機が訪れたのは、1923年に起きた関東大震災の後だった。関東地域を直撃した大震災により、日本橋の問屋街が一瞬のうちに焼失した。これが契機となり、うちわ生産に関わる全拠点は千葉へ移ることになり、これ以後うちわはもっぱら「房州うちわ」の名で知られるようになった。

1920年代終盤の頃には、房州うちわの年間生産量は約800万本を記録するようになり、四国の丸亀うちわと京都の都うちわとともに、「日本の三大うちわ」と言われるようになった。

房州うちわの特徴は、竹の丸みを活かした円筒状の柄、そして、48等分、あるいは64等分に割いた骨を糸で編んで作られる熊手の形をした「窓」として知られる骨組みにある。この「窓」は、まさに職人のカッティング技術のなせる技であり、熟練した職人の技術が光る。

宇山氏によれば、宇山氏がうちわ作りに携わるようになった10代の頃には、その小さな村だけでも約30件の工房があったという。しかし、1960年代の高度成長期における景気拡大の流れに押され、うちわ産業は事実上衰退してしまった。「電気扇風機やエアコンの普及により、うちわ職人たちは工房を畳まざるをえなくなり、新しい事業を始めるようになりました」と宇山氏は当時を回想する。「私も、うちわ作りを諦め、その道を選ぶことを考えましたが、資金が底をついてしまっていました」。

2011年3月11日の東日本大震災の後、電力不足が囁かれる中、湿度の高い夏場に涼をとるために電化製品以外の手段に注目されるようになった結果、うちわの需要は急増したが、宇山氏によれば、生産量は約150,000本にまで減少しているという。国外で大量生産された骨組みが使われることが多い、と宇山氏は語る。 宇山氏が今なお続けている伝統的な製造工程では、1日に生産できるうちわは4~5本が限度である。

「現代社会では、エアコンは切っても切れないものです。しかし、竹も、私たちの文化において重要な部分を占めています」-2011年に瑞宝単光章を授与された宇山氏はそう語る。「うちわのような竹製工芸品に親しめる状況が末長く続くことを願っています」。

千葉県基礎データ
千葉県は、東京都の東側に位置し、太平洋に突き出た半島になっている。県南部の南房総エリアは、冬暖かく夏涼しい海洋性の温暖な気候に恵まれ、季節の花々が県道沿いを彩るフラワーラインと呼ばれる人気スポットがある。
人口:約621万人
面積:約5,156平方キロメートル
県庁所在地:千葉市
県の日本一:醤油の生産量

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