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Highlighting JAPAN

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特集震災からの学び

復興を支える若い力(仮訳)

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東日本大震災が発生し、被災地では、日本全国ならびに世界各地から、多くのボランティアによる支援活動が行われた。中でも、若い日本人の姿が目立ち、こうした支援活動をきっかけに、彼らの中には、持続可能な社会づくりに向け、長期的なビジョンで東北の復興に携わるようになった人も多くいる。ジャパンジャーナルの澤地治が、被災地で懸命に復興活動に取り組む二人の若いリーダーを紹介する。

人と人とをつなぐ

東日本大震災の発生直後から、国、自治体、市民は被災者の救援活動に乗り出し、被災者の救出、避難所への救援物資の供給など、数多くの支援を行った。しかし、被災地がかなり広範囲にわたったこと、被災者が極めて多数だったことなど、様々な要因から、現地の混乱も多く生じた。例えば、避難所に必要な数の救援物資が届かない、あるいは、必要とされない救援物資が送られるといったことだ。

「私は3月20日に初めて被災地に入りましたが、たくさんの人が懸命に支援活動をしていました。しかし、必要な情報が現場に行き渡っていないと感じました」とRCF復興支援チーム代表理事の藤沢烈氏は言う。「私は、そうした人々が効率よく支援活動ができるために、どの地域で何が起こっているのか、どの地域で、どのような支援が必要なのかという情報を集め、分析し、伝え始めたのです」

コンサルタントとして、ベンチャー企業やNPOを支援していた藤沢氏は、東日本大震災後、RCF復興支援チームを設立、被災地の支援に乗り出した。RCFが最初に行ったのが、被災地支援を行うNPOと協力し、避難所の現状を分析することだった。そのNPOは、ツイッターを使い、のべ400名のボランティアを集め、約600箇所の避難所の食事、衛生、運営に関する情報を3週間にわたって収集した。RCFは収集されたデータの分析を行い、その結果をレポートにまとめ、連携するNPOや、自治体、政府に提供した。この分析は、支援者が、避難所でどのような支援が必要とされているかを把握することに大きく貢献する。

「人や情報を集めるために、今回、ツイッター、フェースブックなどのソーシャルメディアが非常に大きな役割を果たしました」と藤沢氏は言う。「例えば、以前は、被災地を支援するグループが、"明日までにボランティアを集めたい"と思っても、直ぐに人を集めることは難しかったのですが、ソーシャルメディアがそれを可能にしたのです」

その後も、財団や企業の支援を受け、RCFは様々な活動を被災地で進めていく。例えば、大手インターネット検索会社Googleと協力し、地震や津波で壊され残った建物(震災遺構)を記録するというプロジェクトだ。これは、復興のため、また、被災者の感情に配慮して、取り壊される震災遺構を、取り壊し前に撮影し、デジタルデータとして保存し、記録として後世に伝えるというものである。RCFはプロジェクトの窓口として、自治体のニーズ調査を行い、賛同を得た約20の自治体が、学校や役所など約50の震災遺構を記録するサポートを行った。

こうした取り組みが評価をされ、RCFには企業や自治体から、様々な復興事業への支援の依頼が増えていく。それに合わせ、藤沢氏はRCFの人員を増強、現在では20代、30代を中心に15名が働いている。RCFに限らず、復興事業の最前線で活動する自治体、NPO、企業の関係者、ボランティアには30代が多い。

現在、RCFが力を入れている活動の一つが、岩手県釜石市でのコミュニティ支援だ。RCFの3名が「復興コーディネーター」として釜石に常駐し、自治体と住民が一体となった復興を支援している。彼らの役割は、自治体と住民との橋渡し役だ。頻繁に地域住民の集会や地域のイベントに顔を出し、時間を掛けて住民との関係を構築し、自治体が充分に把握しきれない住民の意向をすくい上げる。

「当事者同士では、本音が言いづらい場合があります。そうした時に、本音を聞き出す『よそ者』として、復興コーディネーターが必要なのです」と藤沢氏は言う。「被災地で復興に携わることは、言わば、社会を作り上げる作業をしているということです。これは、日本だけではなく、世界にとっても非常に貴重な経験です。こうした経験を積んだ人材が、未来を担っていくのだと思います」


雄勝ブランドを世界に

宮城県石巻市雄勝町は、太平洋に面した小さな港町だ。県の中心部・仙台市から車で2時間ほどの場所に位置し、震災前、入り組んだリアス式海岸では、ホタテ、カキ、ホヤ、銀鮭といった魚介類の養殖が盛んに行われていた。また、雄勝町は「雄勝石」の産地でもある。雄勝石を使った硯は、600年の歴史を持ち、国内の硯生産の9割を占める。

「雄勝は、自然、食、伝統文化の非常に豊かな地です」とオーガッツの立花貴氏は言う。「夜には、驚くほどの星が空に瞬いています。朝焼けや夕焼けにも、心が癒されます」

東日本大震災の震源地から最も近い町の一つであった雄勝町は、津波によって壊滅的な被害を受けた。町役場、小中学校、漁業組合、商店などがあった町の中心部は津波で全壊している。そうした中、2011年8月に、漁業関係者によって設立された会社がオーガッツだ。

オーガッツは、雄勝内外から人を雇用するだけではなく、漁師となる人を育てる、地元の子ども達に漁師の仕事を体験してもらう、観光客を雄勝の外から呼び込むといったように、本来の水産業で、利益を生み出しつつも、過疎化や産業衰退などの社会問題の改善を目指すそのビジネススタイルが、これまでの日本の漁業関連企業の中では極めて珍しい。

立花氏は、仙台市の出身。震災の時は、東京で会社を経営していた。立花氏は、震災が起こると直ぐに、母親と妹の安否を確認するために仙台へ向かった。幸い、二人は無事であったが、立花氏は直ぐに、被災地で炊き出しや食料を避難所に届ける活動を開始する。東京と被災地を往復しながら支援をする中で雄勝町の人々と出会い、やがて、オーガッツの設立に加わることになる。

「私たちは、生産者と消費者がともに紡ぐ漁業を進めています」と立花氏は言う。「今まで、漁師は自分が採った魚を、誰が食べているか全く分かりませんでしたが、消費者にも可能な限り雄勝に来てもらい、漁業だけではなく、町、人と人との絆を育てることを目指しています」

オーガッツは「そだての住人」によって支えられている。そだての住人とは、雄勝の漁師が育てるホタテ、ワカメ、牡蠣、銀鮭などの養殖物を、前払いで購入するシステムだ。そだての住人には、年2回、養殖物が配送される。養殖設備や道具を津波で流されてしまった漁師は、このそだての住人の前払いで集まられた資金を元手に、2011年の秋から養殖業を再開した。そだての住人は、商品の購入だけではなく、オーガッツが開催する、養殖作業の体験などのそだての住人イベントにも参加することができる。

都市部に住む人にも雄勝を実際に見て欲しいという思いから、立花氏はこれまで、東京から雄勝の片道450キロを超える道のりを週2回往復することを、200回以上行い、1000名を超える人を運んだ。こうした人々や、インターネット、マスコミの報道を通じて、現在までに3000名以上がそだての住人となった。

「希望者には、漁師が浜でする作業を体験してもらいます。例えば、水揚げしたホタテ貝に付いたムール貝やフジツボをナタで取り除く作業をしますが、皆さん、作業の手間に驚きます。それと同時に、海の生物多様性を知るのです」と立花氏は言う。「雄勝にいらっしゃった方々は、自然や食べ物に対する感謝心を持つようになります」

オーガッツは、海外メディアからも注目を浴び、これまで、アメリカ、スペイン、ドイツ、台湾など数多くの取材を受けている。今年1月にはハーバード大学ビジネススクールの学生が雄勝を訪れた。

「新しい漁業スタイルを確立するだけではなく、新しい町づくりやコミュニティ作りを、生産者、消費者、流通や外食とともに行っているという点が、非常に革新的と評価を受けました」と立花氏は言う。「海外の方々は、オーガッツに非常に多くの人が関わっていることに驚きます。」

オーガッツは今年5月に、東京・銀座に東北沿岸で採れた魚介類を食べることができる店をオープンする予定だ。また、現在、立花氏が雄勝で住んでいる古民家は、新鮮な魚介類を楽しめる民宿に改装する。このように、雄勝では震災前には考えられなかったことが、次々と実現しているのだ。

「将来的には、海外で漁師のレストランを始めたいです」と立花氏は言う。「今、雄勝のみならず、日本の地方で起こっている過疎化、少子高齢化、産業の衰退というのは、世界にも共通する問題だと思います。雄勝を、そうした問題解決のための世界のモデルのひとつにしたいです」

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