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Highlighting JAPAN

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連載|47の物語

愛媛県/福井県(仮訳)

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愛媛県:神の湯でくつろぐ

ロブ・ギルフーリーが愛媛県松山市にある日本最古の温泉と言われている道後温泉を訪れ、その雰囲気を味わう。

鎮静効果があると言われる道後温泉の湯につかりくつろぐと、神々と向き合うことになる。「神の湯」と命名された浴場にある、シリンダー状の庵治石の湯釜には、慈愛に満ちた神である大国主命が、重病の少彦名命を手のひらに乗せて道後の湯に入れる姿が彫られているのだ。伝説によると、少彦名命は奇跡的な回復を遂げ、温泉の側にあった石の上で舞い、回復ぶりをアピールしたと言われている。

道後の湯にある癒しの力は、伝説になっているほど有名で、病に苦しむ神々だけでなく、天皇や皇子、そして領主や大名をひきつけた。また、傷に苦しんだ白鷺が湯に浸かって傷を癒したとも言われている。この白鷺の話は、前述の少彦名命の話とならび、温泉の不思議な治癒力を物語る言い伝えとなっている。

「この白鷺の話がきっかけとなり、約3000年前に最初の住民たちが道後に定住するようになったと言われています」と古茂田幹氏は語る。古茂田氏は、松山市が運営する温泉浴場の担当者である。また、古茂田氏によれば、道後温泉の浴場は8世紀初期にまで遡る日本現存最古の歴史書である古事記の中でも触れられており、それ故に道後温泉は「日本最古の温泉」と言われている。

道後温泉の温泉施設としての建物は、約700年前から存在してきたと古茂田氏は言う。現在、「本館」として知られている建物部分の中心部は、1894年にオープンした。

道後温泉本館は、堂々とした風格のある建築物である。ガーゴイル調の瓦で凝った装飾が施された勾配屋根が十字に交差しており、屋根の上には、刻太鼓を有する赤色ガラスの塔が設置されている。こうした構造ゆえに、本館はまるでおとぎ話の中に出てくるような、お城とお寺を融合した外観をしている。

本館の内部に目を向けると、ヒマラヤスギの壁には、古い白黒の写真や、入浴エチケットについて示した楽しいイラスト画が飾られている。迷路のような狭い廊下と勾配のある急な階段――道後温泉の人気の高まりに伴い新たに建築された各別館との間を繋いでいる――はどこか、オランダの版画家で、だまし絵作家としても知られたM.C.エッシャーのリトグラフを思わせる。

入浴体験も、どこかエッシャー的だ。入浴に際しては、4つのコースの中から好きなコースを選ぶことができる。それぞれのコースは、識別しやすいように、地下鉄マップのように建物を囲むカラーラインで区別されている。

最も人気のあるコースは、「神の湯二階」(ブルーコース)である。急な階段を上った二階には、神の湯を利用する人のための広々とした広間がある。ここで浴衣に着替え、別の階段を下りると浴場に出られる。湯から上がった後には、二階の大広間でお茶とお菓子がふるまわれる。お茶は、茶碗――朱色の漆塗りの椀型の台の上にバランスよく置かれた茶碗――に入って出てくる。このようなお茶の出し方は、100年以上も続いている伝統だという。

長く続いているもうひとつの伝統が、「刻太鼓」である。今でも一日3回、時刻を告げるために塔に設置された刻太鼓が打ち鳴らされている。本館の屋上に建て増しされたこの時計台は、上部に鷺の飾りがある。建築当時は、無用のものを取りつける必要があるのかと物議をかもしたそうだ。

一方、「坊ちゃんの間」は、夏目漱石の小説にちなんで名づけられた。夏目漱石は1895年、道後温泉の湯に浸かった後、この坊ちゃんの間で休憩を取ったことがあるという。夏目漱石は、道後温泉をたいそう気に入ったそうだ。当時の松山では、道後温泉本館は最も人目を引く堂々とした建築物で、本館3階にある坊ちゃんの間からは松山城やその背後にある山々の稜線を一望することができた。

残念ながら、今ではもう、坊ちゃんの間からは松山城や山々の稜線は殆ど見ることができない。戦後の高度成長時代に温泉地域の回りに高層ホテルが建築され、視界が遮られてしまったからである。

しかし、道後温泉の人気は今なお高い。実際、あらゆるところから観光客が訪れている。「道後温泉は、外国人観光客の間でも人気旅行先になっています。特に欧州からの旅行客の間では、この地の温泉の歴史が高く評価されています」と古茂田氏は語る。また、古茂田氏いわく、中国本土や台湾、そしてシンガポールからの観光客も増えているという。

「松山の人々の中には、温泉場をミュージアムなどの施設に変えるべきだと主張する者もいます。しかし、遠方からわざわざ道後に足を運んで下さる方々がいるのは、この地に来れば100年以上前から変わることなく脈々と続く、まさにユニークな体験ができるからこそなのです。こうした伝統がさらに100年間続くことを私たちは願っています」

愛媛県基礎データ
愛媛県は、四国北西部に位置している。県東部は、紙やパルプ、タオル製造業が盛況で、県南部は、かんきつ類や、養殖の真珠や真鯛の日本有数の生産地である。また、愛媛県は、数多くの俳人を輩出している県としてもよく知られている。
人口:約140万人
面積: 約5,678平方キロメートル
県庁所在地:松山市
県の日本一:いよかん、真珠の生産量(2009年)

他の愛媛県のオススメ
水引細工:水引細工は、こより状にした和紙に糊を塗って乾燥させた色とりどりの飾り紐(水引き)を結ぶ、編む、巻くなどして様々な形をつくる工芸品。
鯛めし:「鯛めし」は、愛媛県を代表する料理の一つだ。県南部の「鯛めし」は、薄く切った生の鯛の切り身と、醤油や生卵、だし汁等を混ぜ合わせたものを熱いご飯にかけて食べるもの。その他に、鯛の炊き込み飯タイプもある。


福井県:越前の“かみ”、越前和紙

ロブ・ギルフーリーが福井県越前市にある二軒の歴史的和紙工房を訪ねる。

その飾り気のないひんやりとした工房の中では、4人の職人たちがほとんど無言で仕事に没頭している。彼らが操るまるで大きなブランコのような吊り木枠が前後に揺さぶられて、ねばねばした白色の液体で満たされた長方形の漉き桶に沈められる度に、リズミカルなカタカタ、ピチャピチャという音が立っている。そうした中、言葉が発せられることはほとんどない。

あたかも魔法のように、数分経つときらきらと輝く薄い膜のような物が表面に現れ、4人の職人たちは簀桁の操作をにわかに止める。彼らが丹念に漉いた和紙の元は、巻き取り器(滑車)を使って、他の大量の薄膜の上へと慎重に重ねられる。

この段階で極めて薄い大きな豆腐に見える物が、最終的に乾燥室から出されるといわゆる和紙になるのである。ここ岩野平三郎製紙所で製造される和紙は、1,500年以上も歴史を遡るそうした工程で作られている。この和紙工房は、日本最古の和紙作りの中心地としてつとに名高い福井県越前市にある。

伝承によると、ある女神が地元民に紙漉きの工法を授けたと言われている。職人や住民たちは誰もが「かみ」をことのほか崇拝しており、敬意を表す意味で1,300年にも及ぶお祭りを毎年催している。ちなみに、「かみ」は日本語で「紙」と「神」の両方を意味する同音異義語である。

「“かみ”は、職人たちにとって心の支えや安寧となるものなのです」。こう語るのは、500年以上続く越前和紙産業史の一端を担う杉原商店の杉原吉直社長である。「代々、人は“紙”を通して“神”と意志を通じることができると考えられてきました。職人たちは両方の“かみ”にこの上ない尊敬の念を抱いており、それ故に紙が無駄に捨てられたり踏まれたりすることは滅多にないのです」。

越前和紙はコウゾやミツマタの樹皮から作られており、それらの素材はトロロアオイの根を擦りつぶしてできた「ネリ」と呼ばれる粘質物と混ぜられることが多い。職人たちは、木枠をうまく組み合わせて、ふすまや障子、筆記用紙から木版画に至るまで、各種用途のさまざまな大きさの手作り和紙を生み出している。

最も珍重されている和紙は伝統的に公式文書を記録する際に用いられた奉書で、およそ140年前に西洋式の紙作り工法が伝来するまで広く普及していた。

現在、岩野平三郎氏は、日本画や水墨画などの芸術で使用される高品質和紙を作る数少ない職人の一人である。彼の会社は創業140年の老舗で、著名人が名を連ねる顧客には日本画の重鎮、横山大観もいる。岩野氏(82歳)によると、「和紙の柔らかな風合いを機械で生み出すことはできない」という。そう話す彼の会社は、横山画伯の要望で初めて作られた大判の和紙で有名である。「たとえ機械で同じ厚さの紙を作ったとしても、質感が異なり重さは手作りのものに比べて倍になってしまうでしょう」。

軽さが越前和紙の特徴だが、杉原氏の話では紙の繊維が長いため耐久性もあるのだという。「用途の幅が広いのも、他の紙と一線を画する特徴です」と、彼は補足する。「西洋紙は100年から200年ほどもちますが、奈良の東大寺で保管されている和紙の書類は1,300年以上経た今でも残っているのです」。

皮肉なことだが、和紙の需要が大幅に減るきっかけとなったのはその西洋紙の登場で、この傾向は現在まで続いている。杉原氏は、織物のような和紙や現代の生活様式に合った小物製品のように、和紙の革新的利用法を導入してそうした時代の趨勢に対抗しようとしてきた。ここ数年は、越前職人の手作り和紙を輸出する事業にも着手している。

目を見張るデザインが施された織物のような大判和紙は、東京六本木のグランドハイアットや最近ではパリの香水店「ゲラン」の店頭展示といったところで見ることが出来る。

杉原氏は、ドイツ人デザイナーと手を組み、名刺やスマートフォン、タブレット用ケースなど漆塗りで強度を増した素晴らしい一連の製品を生み出している。

「昔から職人が口ずさむ歌があるのですが、それは、紙作りは一生できるが完全な紙を生み出すことは決してできないといったような内容の歌です」と、杉原氏は語る。「ここ越前では、完璧を求めてこれからも精進し続けますが、今や活躍の場はより大きなものとなっているのです」

福井県基礎データ
福井県は、日本海側の日本列島の中ほどに位置する。繊維産業や眼鏡産業が盛んである。また、おいしい米の代名詞である「コシヒカリ」発祥の地である福井県は、日本有数の米の産地としても知られている。
人口:約79万人
面積:約4,189平方キロメートル
県庁所在地:福井市
県の日本一:メガネフレーム生産量

他の福井県のオススメ
越前おろしそば:越前おろしそばは、普通よりも少し黒っぽい蕎麦に、だしとたっぷりの大根おろしがかかっている。シンプルで、良質なそば粉の味を楽しむことができる蕎麦だ。
東尋坊:東尋坊は、ゴツゴツとした岩が約1キロにわたって続く断崖絶壁で、古くから名勝として知られる。水面から約25mもの高さの岩が日本海の荒波に洗われる光景は迫力満点だ。

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