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Highlighting JAPAN

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クリエイティブルーツ

21世紀の鎧(仮訳)

現代の日本に合った武将鎧 



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サムライは日本文化の象徴的な存在として世界中で認識されている。現代では、外国人にとってサムライは、印象的でロマンチックなイメージがある。壮麗な甲冑を身に纏い、よく鍛えられた日本刀を握る武将たちからは、力強く畏敬の念を感じ取ることができる。武将の一番のシンボルは刀だが、彼らの防具である鎧もトレードマークとしての存在感は劣らない。

丸武産業株式会社は日本有数の甲冑製造会社だ。リアルで、史実に忠実かつ実際に使用可能な武将鎧を作っている。

鹿児島県薩摩川内市に拠点を置く同社は1958年創業。創業者である田ノ上忍氏は武士の武器防具を熱心に収集していた。当初は竹製の釣り竿を製造していたが、釣具産業が原材料を竹から別のものにシフトし始めていた頃、田ノ上氏は鎧の製造と修理に可能性を見いだした。そして彼は丸竹産業(当時の社名)を日本の伝統的な鎧メーカーとして再生することにした。

鎧コレクターや歴史の専門家、鎧の専門家のネットワークから助言をもらいながら、同社は何年もかけて技術を向上させていき、最終的にはテレビや映画の撮影に使用される甲冑を製造するに至った。同社によれば、現在日本のテレビで放送されている歴史ドラマや映画で使用される鎧や小道具の90%は丸武産業が製造したものであり、黒澤明監督の『乱』や『影武者』にも甲冑を提供していたという。

田ノ上忍氏の息子、田ノ上賢一氏(現社長)は現在52人の従業員を率いており、丸武産業では美術館や個人の収集家、大手プロダクション向けに最高品質の鎧を製造している。

同社は展示用と装着用の甲冑を製造しているが、装着用途の場合は購入者に合うようにカスタムメイドし、衝撃に耐えられるよう調整する。同社の取締役専務 小幡兼弘氏はある祭りでのエピソードを思い出して語ってくれた。その祭りでは甲冑を着た男性が馬に乗っていたのだが、馬上から振り落とされ、強く頭と体を蹴り上げられてしまった。観衆は、最悪の事態も考えたが、なんとさっそうと立ち上がり馬に跨り走っていった。兜には生々しい蹄鉄の痕とへこみがあったが、丸武産業の鎧が彼の命を救ったのであった。

誰もが想像するとおり、本物の鎧は安くない。全身鎧の値段6000ドルから3万ドルまでのものがあり、有名な武将が着ていたものを史実に沿って製作した甲冑にはプレミア価格がつく。しかし、同社では 製作過程に現代の技術を用いることで、カスタム製作のコストを下げることに成功している。一つ一つの装甲や穴は機械でプレス・穴開け加工される。部品を曲げる作業では、手で仕上げる前に空気圧ハンマーを使用する。従来は留め具を使用していた所にはスポット溶接に変えたものもあり、甲冑の部品同士を結ぶ紐は機械で織り込まれている。しかし、それぞれの装甲は今も丁寧に手作業で縫い付けている。製作はすべて社内で行われており、装飾の紋がすぐに施され、顧客が出す投資に見合う最高に体に合った鎧が出来上がる。

また、丸武産業は地元の薩摩川内市に地域貢献している。同社は毎年、薩摩川内はんやまつりのスポンサーをしており、そこでは甲冑を身につけた武将200人が街中を行進する。以前に剣道を修めていた小幡氏の指導が細部まで行き届いた、斬り合いの演出や華麗な武将の姿を見ることができる。

小幡氏は川内戦国村の支配人も務めている。1990年に開館し、城を模した魅力ある建物が建っている。田ノ上忍氏が個人で収集した、14世紀後半から19世紀後半(戦国時代から明治時代)に至るまでの武器、鎧、道具が保管されている。施設内にいると古き良き時代にタイムスリップしたかのような気分になることができ、他の多くの美術館に引けをとらない印象的なコレクションも眺められる。敷地内には小さな修理工房があり、鎧の修復・復元が行われている。

最近、丸武産業では海外にも鎧を販売し始めた。日本同様、海外でも鎧に非常に強い関心が集まっている。同社と共に鎧を世界へ発信するプロジェクトを手掛けているプロデューサーの林鉄郎氏は、最近行われたミラノの展示会で多くの外国人が鎧を購入することに興奮していることを実感した。ヨーロッパだけでなく、中東の顧客からの受注もあった。また、現在は博物館や高級レストランなどで、日本文化への強い興味を示す海外の取引先を探しているという。



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