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Highlighting JAPAN

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和食

世界の酒を造る(仮訳)

旭酒造による品質の限界への挑戦

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山口県の山あいを蛇行する小さな川に寄り添うようにして広がる小さな町で、トラックや重機が動き回っている。周東町獺越では、旭酒造株式会社の12階建てのビルを建設中だ。「獺祭」という酒が人気急上昇の酒造元である。ビルが完成した暁には、あたかも日本酒業界におけるその会社の驚異的な成長を表す棒グラフのごとく、この町にそびえ立つことになる。

この様子は、25年前旭酒造が低迷を続ける地元の酒蔵にすぎず、他の地元酒蔵のみならず、ビールやワイン、焼酎やその他の酒類にマーケットシェアを奪われつつあった頃の会社の状態とは全く対照的な姿である。「自社を含む酒蔵の多くは品質を重視していなかった」と桜井一宏副社長は説明する。「その結果、日本の酒はアルコール飲料の市場においてマイナーな飲み物になりつつありました」。

苦難の時には、思い切った戦略が必要となる。桜井博志社長は会社を根本から立て直した。自社の主力商品であった旭富士を諦め、純米吟醸と純米大吟醸の高級な酒に焦点を絞った。

日本酒とは、米と麹と水を主な原料とし、日本特有の製法で醸造される酒のことである。最上級の日本酒は、主に醸造の前段階でどこまで米を削るかが決め手となる。精米によって米の外側に着いている不要な脂肪分やタンパク質を取り除き、発酵に必要なでんぷん質の純度を上げることで酒の風味を良くするのだ。純米吟醸に認定されるには米粒の40%以上を削り取る必要があり、最上級の純米大吟醸は、50%以上を削り取る必要があるが、旭酒蔵は77%まで米を削り、世界の酒の中でも最大に近い磨き率として知られる。実際、商品名にある獺祭50、45、39、23という数字は精米後に残った米粒の割合を示している。

会社を立て直す間に、旭酒蔵は客の声に耳を傾けることを重視し、好評の商品にさらに力を入れ、評判の良くない商品は廃止した。「われわれのブランドが地元であまり人気がなかったことが逆に幸いしたと言えます」と桜井一宏副社長は振り返る。「もし地元や山口県で人気のある商品だったら、大きく酒の味を変えることはもっと困難だったでしょう」。

同時に旭酒蔵は、製造過程の近代化も行った。自身の最上級の酒である23と39を製造するために遠心分離機を導入し、特に、低温室を備えたことは会社に決定的な強みをもたらした。伝統的な酒造りは低温でゆっくりと発酵させるため寒い時期にしかできなかったが、低温室によって会社は年間通して醸造することが可能になったのだ。

もちろん伝統技術も残した。旭酒造は発酵時に外部の発熱装置に頼らず、発酵する米の自然の熱を使っている。また、麹を作るための蒸米のかき混ぜに機械を使う方が経済的だが、これでは繊細な米粒を壊してしまう恐れがあるため、今でも人の手によってかき混ぜられている。「味を守るためにできることはすべてやり尽くします」と桜井一宏は言う。

そんな努力をしても、容易に成功が訪れたわけではなかった。山口県は酒どころとして知られていないため、東の大阪、そして南の九州では彼らの商品は一蹴された。そこで桜井博志社長は近隣地域のマーケットを飛び越え、東京でシェアを築くべく、一軒一軒お店を訪ね歩いて自身の酒を売り込んだ。

この戦略は的中し、東京での人気の上昇に伴い、大阪や九州だけでなく、地元の山口でも需要が高まった。「獺祭」は今や名声を博すブランドに成長し、重要な外交舞台でも振る舞われることがあるということだ。

桜井一宏氏は、日本国内のアルコール飲料全体で日本酒の占める割合は6%ほどだと見積もるが、海外での和食ブームに伴って、世界での伸び代はずっと大きいと考える。旭酒造は今やアメリカの市場では海外輸出額一位と確固たる地位を築き、東京京橋にあるバー店舗に基づいたアンテナショップがパリにオープンする予定(14年秋予定)で、パリでの存在も拡大している。旭酒造の商品はすでに世界17カ国で販売されている。

市場での成功や新社屋の建設にもかかわらず、旭酒造は量より質を徹底し求め続け、「酔うため、売るための酒ではなく、味わう酒を追及する」との哲学を崩さない。旭酒造は日本で、そして世界で成功するには真に品質を追求することが大切であることを証明している。

 



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