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Highlighting JAPAN

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海外で活躍する日本人

次の世紀のアフリカを維持するために奇跡の穀物を育てる

坪井達史氏(仮訳)



ウィンストン・チャーチルはウガンダを「アフリカの真珠」と呼んだ。ウガンダはアフリカ東部に位置する農業国で、標高が高く、水資源と肥沃な土壌、そして穏やかで快適な気候に恵まれている。

独立行政法人国際協力機構(JICA)がウガンダでネリカ米振興計画プロジェクトを開始してから10年以上が経過した。「この国なら稲の研究と研修ができると思ったのです」JICA派遣専門家である坪井達史氏は言う。

坪井氏の研究拠点は、ビクトリア湖のほとりに位置する首都カンパラにある国立作物資源研究所。ウガンダ人研究者や海外青年協力隊、そしてアフリカ稲作の研究を行う日本人専門家などの支援を得て、坪井氏は陸稲ネリカ米の研究と普及指導を進めている。

ネリカ米は、高収量のアジア稲と病気や雑草に強いアフリカ稲を交配して生まれた。灌漑設備や肥料の大量投入を必要とせず、水田ではなく畑で育つので、アフリカの農業環境や習慣に合っている。しかも、アジアの水稲に比べて短期間で成長し、収穫量も従来のアフリカ米の2~3倍。ネリカ米は食料危機を解決し、経済状況を改善する方法と見られている。

ウガンダの人々はキャッサバ、トウモロコシ、サツマイモやバナナなどを主食とする。米は休日や冠婚葬祭の日に食べるような高級食材だ。ウガンダは6万トンの米をアメリカやアジアから輸入
している。高収量のネリカ米が現金収入を得る主要な作物となり、より豊かな食生活を叶えてくれる。

しかし、ウガンダでの稲作指導はほぼゼロからのスタートだった。稲を見たことのない現地研究者は、稲と雑草を誤解していた。農家は稲は水がある方が育つことを知らず、畑に水が溜まると稲が枯れると思っていた。細かい雨量調査や地域による気候差や土壌の違いを考慮し、栽培方法や米の品種を選択することを教える必要があった。知識や機材を持たない農家のためには、収穫後の脱穀、精米の手段も確保せねばならない。

坪井氏は常に畑に行き、指導している。時には情熱的すぎることもある。「私は無責任な支援はできない」と坪井氏は言う。「最高の技術とスキルをすべて見せてあげる、それがJICA専門家としての私の仕事であり、本当の農業支援だと思っています。」

稲作の耕地はプロジェクト開始当初の10,000ヘクタールから今では160,000ヘクタールに広がった。ネリカ米は、ウガンダの米の3分の1を占める。

ウガンダで「ミスター・ネリカ」と呼ばれ親しまれる坪井氏は、長年の活動と貢献を評価され、2009年にはニューズウィーク誌の「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた。ウガンダやコートジボワール、ガーナなどでアフリカで活躍し20年以上経つ彼は、この秋で現役を引退し、日本へ帰国する。その間、10人以上の若い専門家を育成してきた。「国際協力には、カウンターパートと一緒に汗を流すことが大事だと信じてきました」と彼は言う。

稲作に対するイニシアチブがアフリカで始まったが、さらに連続的な支援が必要だ。1世紀後のアフリカで稲作が広がり、人々が日常食として米を食べながら「日本人が私たちに稲作を教えてくれたんだよ」と話す姿を、坪井氏は夢見ている。

 



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