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Highlighting JAPAN

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防災

瓦礫を乗り越えて走る

静岡市オフロードバイク隊の挑戦(仮訳)



災害が発生したとき、オフロードバイクの機動力を発揮し、ガレキの中でも迅速で効果的な初期情報の収集とその伝達を主たる任務とした静岡市オフロードバイク隊SCOUT(Shizuoka City Off-road Utility Team)は34人のメンバーにより構成される。
 その一人ひとりは、警察でも消防でもなく、普通の静岡市役所の職員だというから意表を突かれる。

「みなさん驚かれます。だからこそこのオフロードバイク隊は特別な試みなのです」と、オフロードバイク隊の発案者であり、指導部トップに立つ静岡市危機管理部防災対策課主幹安本治之氏は胸を張る。

もともと静岡市は、発生の可能性が高いと懸念される東海地震に向けて、官民挙げて対策準備を重ねてきた歴史を持つが、オフロードバイク隊が結成されるきっかけとなったのは、1995年の阪神淡路大震災だった。「いつか必ず起きる東海地震のために学んでこい」と上司に背中を押され、当時戸籍課の職員だった安本氏は、前職が陸上自衛隊という経歴を買われて現地へと派遣された。

その後神戸で過ごした半年間は、「人生を変える経験だった」と安本氏は口元を引き締める。被災地でテント生活をしながら、同じように神戸へ派遣された他自治体の職員たちと連携し、臨時神戸市職員として復興が困難な地域の避難所へ通った。そこで彼が見たのは、手当てを必要とする人がたくさんいる一方で、市民へ情報が伝わっていないゆえに傷病人が運び込まれず人手が余る病院や、市民のために動員されたはずの自治体職員が情報不足により立ち尽くす姿だった。

「通信と交通は分断され、瓦礫の山を前に車両は引き返し、物資も情報も流れて来なかった。あのとき、最も機動力があったのは、50ccのバイクやスクーターだったのです」。

静岡へ戻った安本氏は、中山間地が8割を占める市域を抱える同市の職員として、災害時に最も有効な情報収集のツールはバイクであると報告した。そして翌1996年、行政による日本初のオフロードバイク隊が結成され、防災課へ配属された安本氏はバイク隊チーフとなる。

バイク隊発足にあたり、安本氏にはビジョンがあった。自動二輪車産業の盛んな静岡経済界の利点を活かし、バイクはヤマハ発動機社製オフロードバイクと、傾斜地に強いHONDA製トライアルバイクを採用した。また、「本物の訓練を受けた部隊でなければ、大規模災害時に市民のために有効な活動ができない」と、バイク隊は実際に自衛隊基地へ赴いてレンジャー部隊に匹敵する厳しい訓練を受け、情報収集能力やバイク操縦技術だけでなく規律と統制も身につけた。「この時に残ったオリジナルメンバー24人はプロ意識が高く、強固な団結と絆で結ばれていて、約20年経った今も辞めていません」と安本氏は笑う。

技術力を高めるべく研鑽を積んだバイク隊は、やがて8トントラックの専用支援車も手に入れ、2011年の東日本大震災発生時には仙台市へと派遣出動し、現地での支援活動に従事した。やはりその時も、被害状況などの災害時の迅速な情報収集手段として最も有効な手段はバイクだった。

「災害発生時、自治体は被災者の生存率が急激に低下すると言われるタイムリミット、最初の72時間内に対応策の意思決定をしなくてはならない。アクティブに正確な情報を取りにいくことは、行政の責務なのです」と安本氏は説く。静岡市の実績を追うようにして他の自治体でも自治体職員によるバイク隊が発足し始めた事実が、災害時におけるバイクの有効性と機動力の証左となるだろう。




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