Home > Highlighting JAPAN >Highlighting Japan July 2015>日本の魚

Highlighting JAPAN

previous Next

日本の魚

世界初!クロマグロ完全養殖への軌跡 (仮訳)

世界的に水産資源の枯渇問題が重要視されるなか、日本食に欠かせないマグロの完全養殖を実現させた近畿大学水産研究所にプロジェクト実現までの長き道のりを聞いた。

近畿大学水産研究所本部(白浜実験所)は、和歌山県白浜町の風光明媚な入江にある。開設は1948年。「戦後食糧がない時代、初代総長の世耕弘一が海を畑ととらえ『海を耕せ!』という理念を掲げ、養殖研究が始まりました。当時は必要に迫られて始めたことでしたが、非常に先見性のある舵取りでした」。近畿大学水産研究所長・特任、宮下盛博士は語る。

日本における養殖は1928年、香川県で野網和三郎氏がハマチで初の成功を納めたが、入江全体を利用する築堤式であったため全国には普及しなかった。1954年、近畿大学水産研究所に赴任した2代目所長・原田輝雄氏が、小割式網生簀養殖法を開発し、すぐにブリ養殖、さらにマダイ養殖へと着手した。完全養殖から品種改良、稚魚の販売を実現し、研究の成果とともに利益を納めた。

クロマグロの養殖研究は1970年、水産庁の3年プロジェクトとして、近畿大学の他、複数の大学や公的研究機関が参加しスタートした。しかし、幼魚ヨコワが数ヶ月で全滅するなどプロジェクトは難航し、予算と期限切れで他の研究機関は撤退せざるをえなかった。開設から独立採算制で運営してきた近畿大学水産研究所だけが研究を続行できた。自ら予算を捻出する体力があったとともに、2代目原田氏から受継がれた「天然資源維持のため、養殖用原魚は人工産稚魚を」という理念が、研究継続の原動力であったと宮下教授は語る。

とはいえ、クロマグロは最大級の回遊魚、ブリやマダイと同じようにはいかない。稚魚の多くが死滅、成長の過程で共食い、また水槽の壁に激突死もする。肌が極端に弱く、触ったり網にかかったりしても死んでしまう。

研究は困難の連続であった。産卵のない年が11年にも及び、さすがに継続を危ぶむ声も出てきた1994年、産卵に最適な水温環境となってマグロがふたたび産卵した。その後2002年、世界で初めて完全養殖(人工ふ化させて育成した親魚から卵を採り、再び人工ふ化させるサイクル)に成功した。研究開始から、32年の月日が流れていた。

卵から親魚まで育つ生存率は0.0016%から現在1%にまで達している。数字を見ると少なく感じるが、「仮に天然に置き換えると、海はマグロだらけになってしまう」と教授は言う。このクロマグロは「近大マグロ」と名付けられ、現在は産業化への道を模索している。まずは、よき親魚を安定して育成するのが第一だ。またエサの開発も大きな課題である。マグロのエサを天然魚に頼っていては、生産も安定しない。植物性の原料を活用し、無魚粉の飼料の開発を急ピッチで進めている。

近畿大学の水産技術は世界から注目され、マレーシアなどの大学との学術交流の他、過去にはカナダやオーストラリアなどへ技術者を派遣したこともある。日本食ブームもあり、将来的には海外への輸出も検討している。技術提携している企業と併せて、2020年には生産量を現在の年80トンから約3倍の240トン(約6000匹)に増やす計画だ。

養殖魚の魅力や水産技術の高さを伝え、漁業の活性化を図ることは、海外だけでなく国内向けにも必要な施策である。国内では日本人の食の多様化から、魚食が低下している。養殖魚は美味しくないというイメージも根強い。そんな中、近畿大学水産研究所自らが、大阪梅田と東京銀座に養殖魚専門料理店を出店し、ともに行列ができるほど人気を博している。2015年6月、一般のスーパーマーケットでも大手水産会社の完全養殖マグロの販売が始まったところだ。

宮下教授は「全国的に魚の価格が落ち、漁業は停滞しているが、悲観していません。水産資源の枯渇問題に直面している今こそ、養殖魚は必要不可欠です。今まで一緒に歩んで来た養殖業の仲間とともに、発展を目指したい」と語った。




previous Next