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Highlighting JAPAN

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日本の世界遺産

甦った日本の名城 (仮訳)

日本の木造城郭建築の代表例であり、世界でも類を見ない美的完成度を誇る姫路城。2015年3月、50年ぶりの大修理を終え、まさに白鷺のごとく美しい姿に甦った。

1993年、日本初の世界文化遺産に登録された姫路城。天守をはじめとする多くの建造物は、1601〜1609年に池田輝政によって造営され、1618年、別の大名の本多忠政が鷺(さぎ)山に西の丸を築き、現在の姿となった。外部に現れたすべての表面を漆喰で塗り上げる「白漆喰総塗籠造」が特徴で、その姿が天空に翼を広げた白鷺を連想させることから、別名「白鷺城」とも呼ばれている。

見どころは、5重6階の大天守と3つの小天守が渡櫓でつながる連立式天守だ。千鳥破風や唐破風といった美しい装飾を持つ屋根が幾重にも重なり、華やかな構成美をつくっている。迷路のように入り組んだ城内の造りをはじめ、狭間(櫓や土塀などの壁面に開けられた穴)や石落とし(石垣を登ってくる敵に石を落としたり、弓や鉄砲を撃ったりできる防御設備)、抜け穴のような小さな門など、戦いへの備えを意識したさまざまな仕掛けにも注目したい。

この姫路城は、築城以来、戦の舞台になることはなく、第二次世界大戦の戦火に見舞われることもなかったため、現存する城の中で最も残存率が高く、城内には国宝8棟、重要文化財74棟が残っている。

そんなかけがえのない世界文化遺産を、築城時のままの美しい姿で次の世代へ引き継ぐため、2009年から、50年ぶりの大修復「姫路城大天守保存修理工事」が実施された。漆喰壁の塗り替えや屋根瓦の葺き直しを中心に、6年弱の歳月をかけて行われ、総工費は約23億3000万円、作業に関わった職人はのべ3万3000人(仮設工事を含む)、大天守に葺かれている瓦約7万5000枚のうち、約1万6000枚が新調された。

工事は、重機の走行路や材料運搬のための作業台である「構台」を設置する仮設工事から始まった。全69ヶ月の工期のうち、実に32ヶ月を要して建設された構台は、高さ37.6m、長さ66m、幅10mにも及ぶ大きな施設である。それでありながら、地面には杭を1本も打っていない。

その理由について、姫路市役所教育委員会 生涯学習部文化財課の小林正治氏はこう語る。「姫路城は国の特別史跡であり、地中にはさまざまな遺構が残っているため、むやみに杭を打つことはできません。ですから、地表にシートを敷き、その上にコンクリートで土台をつくり、鉄骨を組み上げていったのです」。こうして完成した構台に、天守を覆う素屋根をつけ、ようやく本格的な修復開始となったのだ。

修復期間中は、8階建ての素屋根内部を見学施設「天空の白鷺」として公開した。文化財修理の常時公開は日本でも例がなく、約2年10ヶ月の公開期間中に約184万人が来場するなど、大きな話題を呼んだ。

「文化財への理解や愛着を深めてもらおうという狙いもあり、修復の過程を公開しましたが、最初は作業現場を見られることに戸惑いを感じる職人もいたようです。けれど、多くの人が足を運んでくださるにつれ、自分の仕事に誇りを感じるようになってきたと聞きました」と小林氏はいう。

大天守の次回の修復は50年後。だが、姫路城では小天守や渡櫓など、毎年どこかを修復しながら、伝統の技法と材料を守り、職人が途絶えないように修理計画を立てているという。

こうして築城当時の美しい白さに甦った姫路城。修復を終えた今年は200万人の来場者を見込んでいる。外国人観光客の数も年々増え続け、外国語ボランティアやスマートフォンを利用した最新のARアプリも導入された。来場の際には、春の訪れとともに咲き誇る1000本の桜や、西日を浴びてオレンジ色に染まる夕暮れ時の大天守など、白地に映えるさまざまな「色」も楽しんでみたい。




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