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Highlighting JAPAN

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女性の活躍

有森裕子

スポーツの力を発見(仮訳)

有森裕子さんは、オリンピックのマラソン競技で2つのメダルを獲得した後、スポーツの力を使って人々をサポートしている。NPO法人ハート・オブ・ゴールドの代表である彼女の使命は、国や人種、身体能力に関係なく、人々に希望と勇気をもたらすことだ。


有名なマラソン選手であった有森裕子さんが最初に人々の心を掴んだのは、1992年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得したときだ。その後の1996年のアトランタ五輪では、銅メダルを獲得した。その両方の年で、彼女は日本の「アスリート・オブ・ザ・イヤー」に選出された。また、有森さんは、1996年に日本陸上競技連盟から認められた初のプロランナーにもなり、彼女の同志である日本のアマチュアアスリートたちが公式にスポンサーを得ることにも貢献した。
その同じ年、産経新聞は、地雷廃絶とカンボジアで地雷の被害に遭った子どもたちを助けるために、有森さんの競技者としての経験を生かしてもらいたいと「アンコールワット国際ハーフマラソン」に彼女を招待した。陸上競技は、若い頃から彼女の人生において不可欠な存在であったため、有森さんにとってスポーツを通して子どもたちと関わることは自然なことだと思えた。彼女のランナー人生も、中学校の100m走で1位になったときから始まった。そのとき、彼女は初めて本物の自信を得たように感じた。「自分の足を使って勝つということが、私に大きな自信を与えてくれました」と有森さんは当時を振り返る。「それがきっかけとなり、私はもっと自信を積み重ねていきたいと思うようになったのです」。
スポーツの力に対する有森さんの認識が再び強まったのは、1997年に2回目を迎えた「アンコールワット国際ハーフマラソン」のときだった。当時、カンボジアの社会不安はピークを迎えていた。政治理念の違いにかかわりなく、あらゆる人々がイベントに招かれ、一緒にスタートラインに立ち、カンボジアの平和をアピールした。「スポーツには社会を健全にする力(紛争予防)があるのだとその時気づきました」と有森さんは語る。「スポーツは、平和のための変化をもたらすことができるかもしれない」。そう気づいたことにより、彼女は1998年にNGO法人ハート・オブ・ゴールドを立ち上げた。この団体は、社会変革の手段としてスポーツに焦点を当てた日本初の民間組織となった。
カンボジアを主な活動場所とするハート・オブ・ゴールドは、スポーツを通じた開発と子どもたちの自立支援事業を進めている。特にカンボジアの体育プログラムの改善に向けて同国政府と緊密に連携し、小・中学校で体育の授業が実施され始めている。
スポーツを通じて、人は体の健康だけでなく、チームワークや競争相手に対するリスペクト、ルールの遵守などの心の健康について学ぶことができると有森さんは確信している。「これらのスキルは、人として社会で生活するうえで必要なものです」と彼女は語る。「私たちの目標は、人々がアスリートになれるように教育することではなく、スポーツを通じて生きる力を与えることです」。
スポーツは、有森さんにとって生きる道を決める指標であり続けてきた。現在、彼女は「Be happy with SPORTS」を理念に掲げる株式会社RIGHTS.の取締役を務め、公益財団法人スペシャルオリンピックス日本の理事長でもある。2001年、スペシャルオリンピックス日本に参加しないかと仲間から最初に誘われたとき、有森さんは自分に与えられた役割をそのまま引き受けた。「私は、来るものを拒まずに取り組みます」と彼女は話す。「そのようなポジションを私は選り好みしません。ただし、これらの仕事が私のもとに来るということには、何かしらの理由があるはずだと思っています」。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックが目前に迫るいま、スポーツが人々を健康で幸せにする力を持っているということに、より多くの人が気づいてほしいと有森さんは願っている。

 



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