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Highlighting JAPAN

休耕田の活用

津波被害を受け、稲作ができなくなった農地でコットンを育ててアパレル製品にする「東北コットンプロジェクト」は、アパレル業界ならではの発想で、地元農家の支援へとつなげている。

2011年5月10日のコットンサミットでの、大阪の老舗「大正紡績」の近藤健一さんのプレゼンテーションがきっかけとなり立ち上がった「東北コットンプロジェクト」。アパレル業界としてできる被災地支援として、稲作が不可能になった地域で耐塩性の高いコットンを栽培し、現地に安定的な雇用を生み出すことを目的としている。

現在70社以上の企業や団体が参加し、収穫したコットンを参加企業が市場価格より高い値段で買い取ることをはじめ、種の提供、コットン栽培の技術指導、農産業化に向けた行政への支援依頼も行っている。

クリエーターとして東北コットンプロジェクトに携わるフォトグラファーの中野幸英氏は、5年間の歩みをこう振り返る。「アパレル業界の人たちは、綿花の美しさや感触を知っています。美しい綿花を被災地で現地の人々とともに摘み、ふわふわのコットンで支援をしたいという思いでスタートしましたが、手がかかるうえに寒冷地では栽培に向かないコットンを東北で育てることは難しく、プロジェクトを立ち上げた初年度は種まきが遅れたこともあり実がほとんど開きませんでした。実をひとつひとつ手で開き、少量のタオルやデニムにしたのです」。

もともと日本においてコットンの栽培はこの50年間実質行われていなかった。水害や虫害にみまわれ、試験栽培は苦労の連続ではあったが、津波で全てが流された何もない土地でコットンが力強く育つ様は、人々を勇気づけた。「私たちは学び、あきらめなかった。コットンと、それを育てる農家とボランティアの人々の様子を見て、農地を失い絶望していた人々が『もう一度農業をしたいという気持ちになった』と言ってくれました」。

努力が実り、2015年には初めて一面のコットン畑に綿花が実り、試験栽培のステージは成功を見た。「復興が進み、今では各地で稲作も再開しています。しかし当初から持続可能な復興支援を目指し、長期にわたり協賛してもらえる会社のみに参加を制限させていただいたことや、コットンという作物への農家の興味もあり、『東北コットンプロジェクト』はより勢いを増していると感じます」。

参加企業の中には、アパレル企業以外の会社も含まれる。例えば、日本航空は、種まきや収穫時にボランティアとして社員が作業を手伝うほか、マイル交換商品の一部に東北コットンを使用している。また、百貨店の高島屋では、プロジェクトを広めるための屋上栽培や写真展を開催するなど、それぞれの強みを活かして製品のブランディングに貢献している。

「今後は収穫量を増やし、良い製品を東北の企業とコラボしながら開発していけたらいいなと思います。何もなくなった土地で実った東北コットンは、力強さのシンボルといえます。『負けない強さを着る、使う』というコンセプトをアピールしていきたいです」と中野氏は語る。

災害を受けたさら地にコットンを植え、一面を美しい綿花で埋め尽くすという、アパレル業界ならではの美意識と、企業によるブランディングのサポートは、これからさらに大きな実をつけそうだ。