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Highlighting JAPAN

献身的な支援

日本在住の多くの外国人と同様に、2人の元JETプログラム参加者が2011年に大惨事に見舞われた東北の復興支援として岩手県のコミュニティでボランティアに力を注いでいる。

カナダのトロント出身の美野-トンプソン・マークさんは、文部科学省が長期にわたり携わる草の根の教育と国際化を目指すJETプログラムの英語講師として、1999年に岩手県で暮らし始めた。

美野-トンプソンさんは一時的にカナダに帰国した後、再来日して元々働いていた住田町役場に勤務していた。美野-トンプソンさんは震災に見舞われた2011年3月11日の金曜日の午後、住田町にいた。役場では直ちに、地域のために同僚たちと緊急救援物資を用意したテントを設置し、住田町の建物周辺の被害状況の調査を始めた。

美野-トンプソンさんは語る。「住田町は地震や津波の大きな被害を免れたので、救援活動の集結地になりました」。外国からの捜索救助隊 ― アメリカからの150人、イギリスからの70人を含む─ が到着すると、外務省や住田町役場のスタッフとの間の連絡係として必要に応じて翻訳や通訳を行った。

以前に友人から受け取った古い石油ストーブを見つけると、美野-トンプソンさんの救援活動はより個人的な様相を帯びた。この独立型のストーブは最近のモデルと異なり電気のコンセントが不要なため、気温が氷点下近くまで下がる夜をしのぐための熱源となった。そのため少人数ではあるが、美野-トンプソンさんと彼の家族は宿主となり、いつの間にか近所の人や友人らを自宅に迎えることになった。

美野-トンプソン・マークさんの友人でJETプログラムの同輩教師のディーン・ルツラーさんは、美野-トンプソンより1年早い1998年にアメリカから来日し、岩手県で3年間、特別支援学校の生徒に英語を教えた。

JETプログラムの期間が終わるとアメリカに帰国し、ニューハンプシャー州の通販会社で日本からの問い合わせ対応をこなし、その後、英語講師として再び岩手にやってきた。地震発生時には、勤務先の盛岡の高校の職員室にいた。ルツラーさんは当時の様子を振り返る。「もっと大きな地震を経験したことがあったので、恐怖を感じたのは大きさではなく、地震が2分以上も続いたことです」。

ルツラーさんは、自宅が大きな被害を免れたので幸運だったと語る。翌日の土曜日には、盛岡市のいわて県民情報交流センター(アイーナ)に車で向かった。ルツラーさんによると、この施設は事実上、緊急避難所になったという。「私はセンターにきて、『何かお手伝いできることはありますか?』と尋ねました」。ルツラーさんは、一日のほとんどをセンターに来た外国人のための通訳や、スタッフが掲示板で通知できるように情報を日本語から英語に翻訳して過ごした。

ルツラーさんの学校では震災後の数週間、授業が行われなかったので、盛岡在住のその他の外国人と協力して救援物資を集め、被災地の人々に届けた。また、ゴールデンウィーク中の休みには、他のボランティアと一緒に円滑な輸送のため、道路の側溝から泥を除去した。

震災から5年を迎えるなか、美野-トンプソンさんとルツラーさんは東北復興の先行きを見つめている。美野-トンプソンさんによると、復興は進んでいるが、徐々にだという。「人や仕事を呼びこむようなことが必要です」。

岩手県の奥州市に「国際リニアコライダー」という最先端の素粒子研究施設の建設を目指すプロジェクトがある。美野-トンプソンさんとルツラーさんは、このプロジェクトに非常に大きな可能性を見出している。東北の復興を意味のあることにつなげたい二人は今、プロジェクトの実現を手助けするために、ボランティアとして時間を捧げている。注いだエネルギーが東北地方の復興を可能にするだけでなく、東北が2011年3月以前よりも強くなることを願いながら。