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Highlighting JAPAN

遊びのちから

東日本大震災と津波の一年後に発足したNPO法人 プレイグラウンド・オブ・ホープは、遊びが子供たちの健康と社会性の発達に必要不可欠であることを認識して、子供たちが遊ぶことのできるスペースと機会を創出しており、そのプロセスの中で地域に癒しをもたらしている。

2011年3月の東日本大震災と津波の後、多くの人々が家を失い、仮設住宅での仮住まいの中、震災のショックから立ち直ろうとしている時、現在NPO法人プレイグラウンド・オブ・ホープ (希望の遊び場) の代表であるマイケル・アナップさんは、2011年の4月に宮城県石巻の人々を支援するボランティアとして東北地方を初めて訪れた。以後、彼は福島県南相馬の仮設住宅に住む人々に食料や水を届けながら支援を続けた。

アナップさんは、人々が家や仕事を失っただけではなく、学校や公園も使うことができない状態になっていることに気がつく。「東北の人々は地域の連帯感が強い」と彼はいう。「震災の後、人々の意識は失ったものに集中していたけれど、子供たちの笑う声は再び希望を与えてくれるものだった。プレイグラウンド・オブ・ホープは地域の人々と協力して公園や学校、コミュニティセンターなどの子供たちの遊び場を再生することで地域に喜びを取り戻す活動を始めたのです」。

震災から5年の間にプレイグラウンド・オブ・ホープは被害を受けた東北地方で39件のプロジェクトを実施し、その他の地域を加えると50を越えるプロジェクトを完成させた。それらのプロジェクトはスポンサーとなった企業と遊び場を必要としていた地域に特別な繋がりを築いた。企業と地域のボランティア同士が協力し合い、新しい遊具などは次々と完成している。

福島県新地町にある駒ケ嶺小学校の高橋澄子校長は、2015年9月に校庭に建設された新しい遊具にたくさんの子供たちが来るのを見て喜ぶ。「この活動は素晴らしいと思います。子供たちが笑うことを皆が望み、短期間で一緒に遊具を作り上げて、オープニングのイベントまで一緒に行ったことには感動しました。知り合ったばかりの人たちと一緒に遊具を作り上げ、強い絆ができました。私も何かボランティア活動を始められないかと考えています」と話す。

地域に遊び場を建設する活動は100人までのボランティアが参加できるように組まれている。協力企業は地域の一部となり、プロジェクトはその企業の社員教育やモチベーションを高めるのにも一役買っている。

「私たちは、本当に一生懸命な活動、真に意味があってそのハードワークを喜んでくれる地域の人々との繋がりを築けるような活動にしようとしている」とプレイグラウンド・オブ・ホープの共同創始者であるニール・ローゼンブラットさんはいう。「企業は地域への関わりを示すことや、社員が一つの共通の目的に向かって努力する機会を作ることを望んでいる。このような仕組みと活動、地域との交流、そして新しい遊び場が長期的に利用されることがこの活動をうまく機能させています」。

プレイグラウンド・オブ・ホープでは最近社会で顕著になりつつある、子供が外で遊ぶ自由がないという問題にもこのプロジェクトを通して取り組んでいる。子供たちのおかれている現状は、塾やスポーツなど、すでに決められた活動でいっぱいであり、テレビやPC、携帯電話などの画面を見ながら家の中で過ごす時間も増えていることが問題の要因と見ている。

「子供の成長にとって遊びがいかに重要かを示す研究報告はますます増えている」とアナップさんは語る。「親として、また子供たちを見る者として、私たちは遊びというものが贅沢なものではないことに気がつかなくてはいけない。子供たちが勉強するには遊びは不可欠です。プレイグラウンド・オブ・ホープは地域と協力しながら、遊びの重要性の認識と各地域で増進している“遊びの不足”という問題の解決に取り組んでいます」。

遊びを促進するために、プレイグラウンド・オブ・ホープはこれからも思い切り遊べる遊び場を作り、全国の公園や施設などでのイベントに参加して行く予定だ。また、この団体は、彼らの遊び場の計画や設計に子供たちの意見を取り入れ始めている。つまりは、真の遊びの専門家に聞かずして誰に聞けというのか、ということだ。