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Highlighting JAPAN

海外に広がる青森のリンゴ

青森県のリンゴがアジアの市場へと広がっている。

本州の最北に位置する青森県は日本一のリンゴの生産地である。青森県でリンゴ栽培が始まったのは、1868年の明治維新の後のことである。特権的な地位にあった武士は職を失い、その多くが生活に困窮した。雇用創出のために、新政府が青森県で奨励したのがリンゴ栽培だった。

青森県は夏でも涼しく、暑さに弱いリンゴの木を育てるには好適の地で、しかも日中と朝晩の寒暖差が大きいため、甘くて美味しい果実を育てることができる。青森県の農家が地道な作付面積の拡大や品種改良を進めた結果、りんごの生産量は増加していった。昨年の生産量は47万トンで、国内生産量の6割弱占める。

青森県の代表的な品種の一つが、1960年代に開発された「ふじ」である。「ふじ」は果汁が豊富で、甘さや香りも優れ、長く貯蔵できるのが特徴だ。青森県内では現在約50種類のリンゴが栽培されているが、生産量の半分以上が「ふじ」である。

近年、青森県のリンゴは海外で人気が高まっているが、青森県のリンゴが初めて海外に輸出されたのは、リンゴの栽培が始まって間もない、1899年にまでさかのぼる。

「リンゴ栽培が始まる前には、日本人はリンゴを食べる習慣がなかったため、当時は青森ではほとんど売れませんでした」と青森県りんご輸出協会の深澤守氏は言う。「そのため栽培農家からリンゴを仕入れた商人たちは、日本国内でも函館や横浜など外国人が多く暮らす地域、さらにはロシアや中国などに出向いてリンゴを売り歩いたのです」 

 その後、青森県のリンゴの輸出は続けられたが、戦争、リンゴの不作、価格の低迷など様々な要因で輸出量は安定しなかった。リンゴの輸出量は、1990年代には毎年2,000トン前後で推移してきたが、2002年に大幅な増加に転じた。その最大の要因は、台湾が同年WTOに加盟し、日本からのリンゴの輸入制限を撤廃したことである。

台湾では春節の贈り物や神仏に供える果物として、リンゴは古くから人々に親しまれてきた。しかし、台湾では、バナナやパパイヤ、マンゴーといった熱帯フルーツの生産は盛んだが、リンゴは気候的に栽培が難しいため、最大の輸入果物となっている。

「台湾の人々は赤をめでたい色と尊ぶため、鮮やかな赤色をした青森のリンゴはとても人気があります」と深澤氏は言う。「輸入量に制限があった時代には、青森県から台湾に向けて輸出するリンゴは単価の高い大玉品種が中心でした。そのため今でも、台湾の人々は、青森のリンゴは贈答用の高級品というイメージを持っているのです」

 2015年、日本から海外に輸出されたリンゴは過去最高の36,304トンを記録したが、そのうち青森県産は9割以上を占めている。また、全17カ国におよぶ輸出先の中では、台湾が27,301トンで圧倒的に第一位である。台湾では「世界一」、「むつ」といった贈答用の高価な大玉品種のみならず、近年は「ふじ」、「王林」といった、家庭で一般的に食べられる中小玉品種の輸出も増えている。

台湾におけるリンゴ人気を高めるため、これまで青森りんご輸出協会ではさまざまな取り組みを行ってきた。そのひとつが台湾の貿易業者や仲卸業者との「台湾青森りんご友の会」の設立である。友の会では年に一回、台湾側の代表10名ほどを青森に招き、情報交換や生産現場の視察を行っている他、台湾各地で店頭での青森県産リンゴのキャンペーンを開催している。台湾との協力関係の深まりとともに、台湾の業者を通じた華僑のネットワークによる、香港や中国、東南アジア諸国への輸出実績も、近年かなりの伸びを見せている。

「青森県では2018年には、リンゴの輸出を4万トンまで伸ばそうという目標を掲げています。おかげさまで今年も大きな自然災害はなく、品質のいい、甘くておいしいリンゴがたっぷり実っています」と深澤氏は言う。「台湾のみならず、これまで以上に多くのアジアの人々に青森県のリンゴを手に取り、味わっていただきたいです」