秋田名物「きりたんぽ」は秋に旬を迎え、伝統的な郷土料理「きりたんぽ鍋」と「味噌漬けきりたんぽ」が秋田の顔となる。
きりたんぽ1は滋養食で、勇敢なマタギによって作られたものである。マタギは冬の間に活躍する狩人で、鹿革の衣装に身を包み、北日本、秋田県の山間でクマやイノシシ、その他の見つけられるものはどんな動物でも追っていた。
「きりたんぽの起源ははっきりしていませんが、1870年に書かれたある歴史史料によると、少なくとも200年前には楽しまれていたようです」と、120年以上にわたってきりたんぽを提供している緑豊かで静かな大館市にある老舗料亭「北秋倶楽部」の五代目社長石川博司さんは言う。
「大館は山に囲まれています。冬になると、マタギは獲った野鳥、クマ、シカ、またイノシシの肉を野菜、持ち運んでいる間に硬くなり食べられなくなった丸めたご飯と一緒に濃厚なスープに入れて鍋で煮ていました。それがきりたんぽになったと言われています」
その習慣はほどなく住民の間にも広まった。きりたんぽ鍋は、つぶしたご飯を円筒形に整え炭火で焼いたもの、鶏肉、野菜を醤油ベースの鶏ガラスープで煮込んだ料理で、現在、地元の名物料理というだけではなく、秋を代表する料理として認識されている。
「秋になると、会社員、社交サークルの人などが集まって、きりたんぽ鍋を食べます」と、大館きりたんぽ協会会長も務める石川さんは言う。妻の美歌子さんと、北秋倶楽部の和室に据えてある囲炉裏できりたんぽ鍋を作りながら、石川さんは「日本の他の地域では、年末に忘年会を行うと思いますが、ここでは「たんぽ会」の集まりになるのです」と、話す。
当然のことながら、きりたんぽ鍋は、秋の時期しか採れない伝統的な旬の材料で作られる。マイタケ、長ネギ、ゴボウ、そして独特の風味を持つ日本のパセリとも言えるセリが、アジア料理の一部で用いられるコリアンダ―のように、しっかりとした味の濃厚なスープとは対照的に味を引き立てる。
鶏肉そのものも美味である。野鳥に似た味わいを楽しむため、大切に育てられた比内地鶏を使っているからである。比内地鶏の名称は、実に縄文時代からこの地域で狩猟されていた鶏にちなんで付けられている。
きりたんぽが年々さらに人気になっていることは、秋田のメニューに一年中登場するようになったことからも伺える。大館だけでも約50軒ある料理店には、きりたんぽを味わうために、蒸し暑い夏の最中でも遠方から旅行客がやってくると石川さんは言う。
しかし地元の住民にとって、きりたんぽは引き続き秋の季節料理であり、その年の最初の米である新米の収穫を祝って楽しむ料理である。
きりたんぽの人気は、「たんぽ会」だけではなく、今年10月に第45回を迎えた恒例行事、大館きりたんぽまつりにも表れている。
この祭りは、もともと長木川岸沿いで開催されていたが、ここ6年間は、大館にあるニプロハチ公ドームで開催されている。このドームは、最近まで世界最大の木造ドームスタジアムであった。音楽イベント等が開催され、地元秋田料理を提供する出店も並んでいる。中でも最も目を引くのがきりたんぽである。鍋にしたものもあれば、もう一つの美味しい食べ方、味噌漬けきりたんぽもある。
石川さんによると、この地域には醤油がなかったことから、鍋のスープにはもともと味噌が使われていた。その伝統が味噌漬けきりたんぽに受け継がれている。味噌漬けきりたんぽは、潰したご飯を香り高い秋田杉で作られた太い串に塗り付け、真っ赤になった炭火にかざして軽く焼いてから、甘い味噌をたっぷり塗って作る。
祭りでは、来場者は自分の手で味噌漬けきりたんぽを作ることができる。串の周りにご飯を形作り、二台準備された炭の入った長いコンクリート製の網焼き台の上で焼く。
「大館に住む多くのご家庭と同じように、きりたんぽは家で手作りしています。特に鍋用のきりたんぽは自家製です。特別なお祝い用として作ることが多いです」と、田中知子さんは、2人の娘さんであるルナちゃん(11歳)と心奈ちゃん(4歳)と共に、他の多くの祭りの参加者に混ざり、火傷しそうに熱い網の上で手作りのきりたんぽの串を回転させながら言った。「食文化は、どの地域においても重要なアイデンティティーの一つです。特に日本においてはそうでしょう。このシンプルだが美味しい料理の発祥地で生まれたことを、私はとても誇りに思っています」
(注)
1 きりたんぽという言葉の由来は、筒状の湯たんぽや槍の先「短穂」という説があり、その始まりについてはマタギ説の他にも、神様への供物、農民食など諸説ある。
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