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Highlighting JAPAN

“ノンビア”ビバレッジの復活

ある企業の意欲的な跡取り娘が、約70年前に発売された主力商品の人気を復活させた。

『ホッピー』は東京都やその周辺の大衆居酒屋で70年近くにわたり愛されてきたビアテイストの清涼飲料水である。ホッピーのアルコール度数は0.8%で、主に蒸留酒である焼酎をベースに割って飲む。

1920年頃、日本では高級品だったビールの代用品として『ノンビア』と呼ばれる飲み物がブームとなったが、その多くは発泡水に苦味をつけ、泡立て剤を入れたものだった。1905年に「石渡五郎吉商店」として創業した現・ホッピービバレッジ株式会社は、元々ラムネを製造しておりノンビア製造の打診が寄せられたが、「本物のホップを使った本物のノンビア」を作ることにこだわり、当時は一度その話を断った。その後、ノンビアの製造に乗り出したのは良質の天然ホップ確保のめどが立った1926年、ホッピーの製造販売を開始したのは1948年だった。第二次世界大戦後、粗悪な酒しか飲めなかった時代、酒にホッピーを混ぜる飲み方が流行した。やがて日本が豊かになり家庭でも手軽にビールが飲まれるようになると、ホッピーはその役割を終えたかのように思われた。

しかし、2000年代からホッピーの人気が復活し始める。そこには、ホッピービバレッジ二代目、代表取締役社長石渡光一さんの一人娘で、創業者の孫にあたる石渡美奈さんの奮闘があった。「2003年に副社長に就任してから販売戦略、組織改革など会社の立て直しに取り組みましたが、多くの失敗もありました」と美奈さんは話すが、副社長就任後の5年で年商を3倍に引き上げた。美奈さんは2010年に社長に就任し、同社はその後も年30%の増益を続けている。

美奈さんは、大学卒業後、大手食品メーカーに就職、その後広告代理店に勤務していた。あるとき彼女は、ホッピーの製造工場を訪れて感動的な光景に出会った。「ホッピーはビールと同じ製法でホップと麦芽を酵母で発酵させますので発酵の過程で麦芽汁が音を立てます。その音を聞いたとき、ホッピーには命がある、素晴らしいことだと思いました」と美奈さんは話す。「お前には無理だ」という父を説得して1997年にホッピービバレッジに入社したものの、社内は非常に活気のない状態だった。そして何より美奈さんを嘆かせたのは、社員が誰もホッピーを飲んでいないことだった。

しかし、2代目社長が原材料から徹底的に見直して改良を加えていたホッピーの品質に自信のあった美奈さんは、顧客とのコミュニケーションツールとして当時普及し始めたインターネットの可能性にいち早く着目し、オンラインでホッピーの情報を発信し始めた。「社内に毎日更新できるようなトピックスはなくても自身の毎日なら何かしら書けるはずとe-ビジネスの講師に教えてもらい、日記を書き始めました」と美奈さんは言う。その面白さがテレビなどのメディアの目に留まり、美奈さんは出演の依頼を受けるようになった。さらに美奈さんは「ホッピーでハッピー」を合言葉に、ホッピーのイメージの向上に取り組んだ。時代は健康志向、ホッピーはビールより低糖質・低カロリーで、昔ながらの瓶がかわいいと若い女性たちに評判になるなど、新しいホッピーの人気を生み出していった。

美奈さんは、業務の傍らセミナーや大学院に通い、最新の体系的な経営手法を学び、特に重視している社員の人財育成に取り組んでいる。美奈さんは海外出張や移動中にもタブレットを活用し、テレビ会議を通じて社員と質の高いコミュニケーションを維持している。業務にモバイルデバイスを導入したことで社員は柔軟な働き方が可能となった。女性社員が多い同社、例えば育児中の社員でも社内で対面のコミュニケーションが必要な業務も可能となった。「経営者がどんなビジョンを描いても、それを具現化するのは社員です。経営者と社員、社員同士が想いを共有することが大切です」と美奈さんは言う。

経営者としては「目の前の課題に取り組むだけ」という美奈さんは、いわば男性中心の旧来型企業で、自らの経験に基づく女性消費者としての目を活かした経営改革、女性社員の働きやすさ、全社員の意識改革に取り組んできた。同社の業績回復はその途中経過であり、そのプロセスと着実な前進は日本社会で変化しつつある女性活躍の社会意識向上に影響を与えるだろう。