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Highlighting JAPAN

神宿る島

沖ノ島は神聖な島とされ、4世紀後半から今日に至るまで、海に生きる人々の信仰を集め、守られてきた。

沖ノ島は、福岡県宗像市の沖合約60kmの玄界灘に浮かぶ孤島である。この地方の人々は沖ノ島を「神宿る島」と呼ぶ。沖ノ島では4世紀後半から約500年の間、盛んに祭祀が行われていた。容易に人を寄せ付けることのない神聖な島として、現在に至るまで崇敬の対象として大切に守られ、島内には原生林や古代祭祀の跡が残されている。

8世紀初頭に編纂された日本の神話によれば、天照大神から産まれた三柱の女神が、それぞれ沖ノ島の沖津宮(おきつみや)、大島の中津宮(なかつみや)、そして沖ノ島と大島を直線に結ぶ本土の宗像市にある辺津宮(へつみや)に祀られ、現在の宗像大社につながる広域な海上の信仰の場を形成していた。沖ノ島信仰から宗像三女神信仰へと発展させ、それらの奉祀と玄界灘の航海を司ったのが古代豪族の宗像氏である。その墳墓「新原・奴山古墳群」遺構は宗像市に隣接する福津市にあり、古墳群を合わせた「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、2017年7月にユネスコ世界遺産に登録された。

「古代ヤマト王権は、玄界灘の航路によって東アジアと交流を行っていたことが分かっています。その際、沖ノ島は海上の指標となり、また清水が湧いているため海が荒れると島で命をつなぐなど、危険を伴う古代の航海において重要な島だったことから、いつしか神格化されたのでしょう」と福岡県庁の世界遺産登録推進室の主任技師大高広和さんは話す。

宗像氏は中世も対外交易を行って繁栄し、16世紀末に断絶したが、宗像三女神は地域の人々に信仰され続けた。

沖ノ島では、漁師が浜辺に立ち寄ることがあったとしても島の中へは入ることはせず、神事などで入る場合も上陸する前に衣服を脱いで海で体を清める“禊”を行う。島からはたとえ石1個、草1本たりとも持ち出してはならない、島で見聞きしたことは決して口外してはならないなど、不文律の禁忌がかたくなに守り通されてきた。

宗像の神域は地域の人々に密やかに守られてきたが、1940年頃から沖ノ島の復興の機運が高まり、歴史を明らかにする調査が始まった。1954年から3次にわたった学術調査では22ヶ所の祭祀遺跡が発見され、おびただしい量の奉献品が出土するなど、「神話の世界」から史実が浮かび上がった。銅鏡や勾玉、金銅製の馬具や純金製の指輪などのほか、中には遠くシルクロードを経て運ばれてきたガラス碗片もあり、豪華で貴重な宝物、約8万点が国宝に指定された。

これに併せて宗像大社の中世に執り行われた数々の祭事も復興された。特に秋季大祭は、辺津宮に三女神がそろう重要な祭りである。毎年10月1日の御生れ祭(みあれさい)では、沖津宮、中津宮から神輿を乗せた2隻の御座船を、宗像七浦の数百隻の漁船が大漁旗を掲げて随行する、他に例を見ない壮麗な海上神事が繰り広げられる。秋季大祭は、辺津宮の古代祭祀場だった高宮祭場で行われる神奈備祭(かんなびさい)で締めくくられるまでの3日間、流鏑馬神事や神楽舞の奉奏などが行われ、宗像大社の境内は大変な人出で賑わう。

「時代につれ信仰の形は変化してきましたが、沖ノ島は今も島そのものがご神体として崇敬されています。これは日本の信仰の原点が自然崇拝であったことに由来しています」と大高さんは言う。

海上の安全を祈願する宗像三女神の信仰は、広く日本全国に伝わっている。海運の要所だった広島県廿日市市の厳島神社、神奈川県藤沢市の江島神社なども祭神は宗像三女神であり、今もなお自然への畏敬の念とともに海に生きる人々の安寧が祈り続けられている。