Home > Highlighting JAPAN > Highlighting Japan December 2018 > 驚きや感動を生み出す、日本のエンターテイメントとそのホスピタリティ

Highlighting JAPAN

 

 

スポーツの力で国を幸せにしたい

川崎フロンターレは、多くの斬新なイベントや企画でファンを増やしてきたJリーグチームである。この立役者であり、現在、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向している天野春果さんに、プロモーション手法を伺った。

サッカースタジアムとISS宇宙ステーションとのリアルタイム交信、相撲部屋とのコラボレーション、カブトムシ採取体験など、フロンターレのユニークなイベントを企画し観客動員数を増やしてきたのが、元プロモーション部部長の天野さんである。米国の大学でスポーツマネジメントを学び、1997年にフロンターレの前身チームに採用された。その時に強く感じたのは、日本では産業や文化としてのスポーツが海外に比べ育っていないということだった。

天野さんによると、アメリカでは老若男女問わず家族そろってスポーツ観戦に出掛け、地元チームを応援すると言う。地域の代表として戦う地元チームを愛しているから動員数が勝ち負けで大きく左右されず、産業として成り立っているのである。当時まだその素地がなかった日本で、アメリカに倣って地域密着型のチームを作れば、スポーツ文化の発展につながると確信した天野さんは地域との連携を試みた。しかしチームはJリーグ入りを目指し、勝つことを重視する時代だったためすぐには受け入れられなかった。そこで天野さんが実践したのは「自分で動くこと」だった。チラシ配りやタペストリーの掲出などをすべて一人で行ううち、徐々に地元の人が手伝い始め、その雰囲気に押されて他のスタッフも共に活動するようになっていった。

「チームのスタッフも町の人々に声を掛けられるようになり、地元に応援してもらう必要性を理解していきました。町の人が賛同してくれたのは、『クラブを地域に根付かせたい』という我々の熱を感じたからです」と天野さんは語る。以降、スタッフも巻き込みやすくなり、様々なファン層を呼び込むイベントを連発していく。女性層を意識し野菜を安く売ることもあれば、人気スキンケアブランドの協力で製品のセールを行うこともあった。「お父さんに付き合って行く」ではなく、「家族で行きたい」場所にするためのコンテンツを常に考え、発信し続けたのである。結果、フロンターレはJリーグ有数の人気チームに成長したが、天野さんは決して慢心しない。ファンが離れないように、感謝の気持ちと謙虚な姿勢を常に大切にしていると言う。

現在、東京2020大会の組織委員会に身を置く天野さんは、改めて自分で動くことの大切さを実感している。組織委員会職員たちと共にする時間が短く、プランを言葉だけで共有するのは難しいため、まずは自分が動いてプランを形にしていると言う。その一例である小学生向けの『東京2020 算数ドリル』は、オリパラ競技に関連する算数問題や、各競技の解説、選手の写真などを掲載した教材で、ここには天野さんの「スポーツに興味を持つきっかけになってほしい」「何年か経って“東京2020大会の時にこれを使ったな”と思える、記憶に残るものになってほしい」という思いが込められている。

天野さんは日本のスポーツプロモーションには、まだ足りないものが多いと考えている。フロンターレですらようやく種火が点いたくらいだと言う。火を大きくするには、地域のためにブレずに自分で動き、周囲を巻き込み、慢心せずに熱を持ってそれを継続していかなくてはならない。そうすることで人々を楽しませ、心を動かすことができ、日本のスポーツは文化として更に発展していくと、天野さんは信じている。