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Highlighting JAPAN

 

 

バイリンガル芸妓が守り伝える花街文化のおもてなし

艶やかな着物に優雅な立ち居振る舞いで人々を魅了する芸妓・舞妓が行き交う祇園の花街(かがい)。京都の文化を代表するこの街に、花街独特の京ことばと英語を駆使して活躍する芸妓がいる。

着物の職人をしている家族の影響で、幼い頃から着物や時代劇といった日本の伝統文化を身近に感じていた富津愈(とみつゆ)さん。その一方、異文化への好奇心も強く、自分の知らない世界を見てみたいという思いから、生まれ育った京都を離れ、ニュージーランドの中高一貫校に留学した。若くして海を渡り、広い世界を体験しながら帰国を決意し、舞妓という道を選んだ理由について、富津愈さんはこう語る。「あっちの学校にはドイツやブラジル、中国とか、いろんな国の留学生がいはって、みんな自分の国のことをよう知ったはるんどす。けど、うちは日本人やのに日本のことを何も知らへん。せっかく京都という歴史と伝統のある素晴らしい街に生まれときながら、何も知らへんことが恥ずかしくなって、日本の伝統に携われる様なお仕事に就きたいと思ったんどす。それでいろいろ調べてたら、うちみたいな普通の家の子でも舞妓さんになれることを知って、今お世話になってる置屋(おきや)さんのお母さんに連絡したんどす」

置屋とは、舞妓(芸妓になる前の未成年の少女)や芸妓(唄や踊りなどの芸で宴席に興を添え、客をもてなす女性)が所属する家のことである。舞妓を目指す少女たちは、ここで、お母さんと呼ばれる女将さん指導の下、住み込みで修行をする。4年間のニュージーランド留学を終えて帰国した富津愈さんも、祇園東のお茶屋兼置屋「富菊」に住み込み、京ことばや行儀作法、花街のしきたりから、唄や踊りといった伝統伎芸まで、舞妓になるためのいろはを学んだ。そして、約1年の仕込み(舞妓修行)を経て、2013年夏、舞妓としてデビューした。当時、京都の花街では英語を話せる舞妓がおらず、英語でおもてなしができる富津愈さんのデビューは大きな話題となった。2018年春、舞妓から芸妓になる襟替え(えりかえ)を迎え、現在は芸妓として活躍している。

舞妓・芸妓が招かれる宴席は、地元の常連客がビジネス・パートナーをもてなすお座敷、外国人観光客が日本の文化に触れるお茶席など、意図も目的も毎回異なる。そのため、芸なのか、会話なのか、求められているものを瞬時に見極め、臨機応変に振る舞うことがおもてなしの極意だと富津愈さんは言う。「外国のお客さんと英語でお話する時は、ゆっくり、はっきりしゃべるように心掛けてます。英語で話しかけられたらお客さんの緊張もちょっとはほぐれるやろうし、興味を持って聞いてくれはることに自分の言葉でちゃんとお答えできるのもうれしおす。ただ、せっかく日本にきはったんやから、一つでもこっちの言葉を覚えて帰ってもらいたいという気持ちもあって、“おおきに”とか“おこしやす”といった簡単な京ことばはそのまま使うようにしてます」

最近は、宴席でのおもてなしだけでなく、京都観光のPRとして海外に出張するなど、活躍の場も徐々に広がっている。そうした流れをチャンスと捉え、しっかりと芸を磨きながらも、本を読んだり美術館や博物館に足を運んで知見を広め、京都のよさや花街文化の魅力を自分の言葉で伝えていきたいと富津愈さんは語る。その心が、誇りある花街のおもてなし文化を紡ぎ続ける。