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Highlighting JAPAN

 

 

日本初のノーベル文学賞受賞、川端康成の代表作「雪国」を読み解く

今から50年前の1968年、小説家の川端康成が日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した。氏の72年の生涯を振り返ると共に、「千羽鶴」に並ぶ代表作であり、海外でも人気の高い「雪国」について鶴見大学片山倫太郎教授に話を伺った。

終戦から23年経った年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したことは、日本の文学が国際的に認められる一つの証であり、当時、国内は大いに沸き立った。
ノーベル委員会の選考過程において、川端の作品は「言葉の芸術」と評され、「繊細な感覚で日本人の本質を表現している」と賛辞を受ける。その繊細な感覚は、生い立ちも少なからず関係がある。

その生い立ちは不幸である。1899年に生まれた川端は、10歳までに父、母、姉が亡くなり、引き取って育ててくれた祖父母も15歳までにこの世を去り、身寄りのない孤児となった。他人に育てられることで、常に周囲の顔色を伺う癖がつき「自分は普通ではない」という意識にとらわれる青春期を送る。
「川端の作品には、寂しい生い立ちそのものというよりも、それが引き起こす様々な心の波紋が色濃く反映されているのではないでしょうか」と片山教授は語る。

「雪国」は、「島村」という「無為徒食で、観たこともない西洋舞踊について書いている文筆家のはしくれ」が、湯治で出会う温泉芸者の駒子ともう一人の娘、葉子をめぐる物語である。1935年から1941年にかけて、少しずつ雑誌に発表されたものを1946年~1947年に加筆修正し、一つの長編小説として1948年に刊行された。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。夜の底が白くなった」という冒頭はあまりにも有名である。

片山教授によれば「雪国」には三つの特徴がある。
一つめは、三人称小説でありながら、描かれている世界は客観的とは真逆の夢幻の世界だということである。「三人称のように書いていますが、実は全ては島村の目を通して見る妄想の世界と言っても良い、今までにない小説の在り方でした。ですから冒頭のシーンは、『島村』を『私』と読み替えても全く違和感はありません」と片山教授は言う。

次に挙げられるのは、その文章の繊細な美しさである。一つ一つのシーンの美しい描写は、まるで絵画を観るようだと教授は言う。非現実な世界を、あたかも現実的であるかのように見せ、読者はいつの間にか美しい夢幻の世界に誘われている。

三つ目の特徴は、エロティシズムである。「雪国」に直接的な濡れ場の描写はない。それは小説家の腕とも言えるし、戦中のことで発禁を恐れて直接的な表現を避けたという事情もある。間接的な表現で「今、何かが二人の間にあった」ことを読者に伝える。そのため、より、読者の想像力を喚起させ、ますます登場人物(主に駒子)は美しく、自由に、大胆にうごめく。

20世紀になって、ヨーロッパの小説は、自己の内的な世界を表現するようになった。川端は内的世界を描きつつも、西洋の模倣に終わることなく、日本の古典的、伝統的な美を表した。そこに、西洋の人たちは共感とともに東洋への憧れを感じ、川端の作品は「西洋と東洋の架け橋」といった評価がされたのである。

ノーベル賞受賞から4年後の1972年、川端は仕事場で自らの命を絶った。しかしその作品は、英語・ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語などの言語に翻訳され、海外でも多くの人に読み継がれている。川端文学を読んだことがなければ、是非繊細な夢幻の世界を描く「雪国」から手に取ってみてはいかがだろうか。