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世界文化遺産・富士山の魅力を未来に継ぐ

富士山の世界文化遺産登録が決定したのは2013年(平成25年)である。山梨、静岡2県に点在する計25の構成資産登録までの道のりと、今も続く文化遺産としての価値保全の取組を紹介する。

山梨県県民生活部世界遺産富士山課課長の入倉博文さんによると、富士山を世界文化遺産に登録しようとする活動が具体化したのは2000年(平成12年)だと言う。「この年に文化庁の文化審議会が『世界遺産に推薦できるように強く希望する』と表明したことで『文化遺産』の方向性が固まりました。2005年には関係機関が協議を行う場として『富士山世界文化遺産協議会』が発足し、この時点から山梨、静岡両県行政が一体になって、暫定リスト素案の作成など具体的な取組が始まりました」と説明する。

富士山は古くから噴火を繰り返し、霊山として畏敬されてきた。平安時代から中世にかけては修験道場として繁栄し、江戸時代には富士講が組織され、多くの民衆が登拝した。こうした山岳信仰が現代に受け継がれている一方、『万葉集』や『古今和歌集』などにも富士山を詠んだ多くの和歌が載っているほか、葛飾北斎による『冨嶽三十六景』などの絵画作品も数多い。そうした史実を受け、担当者は関係省庁や第一線で活躍する有識者と共に構成資産の対象候補となる神社や旧家、景勝地などを選定した。そして、それらが何故信仰の対象となり、文化・芸術的価値があるのかを証明する資料作成、関係者への説明などに奔走した。入倉さんは「富士山は我が国にとって特別な存在だけに、両県を含むオールジャパンの体制で臨めたことが登録に至った最大の原動力だったと考えています」と振り返る。登録された構成資産は4本の登山道や山麓の複数の神社、富士五湖、忍野八海、三保松原などの景勝地を含む計25物件である。正式名称は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」となった。

現在、富士山頂には年間30万人近くが登り、麓を周遊する来訪者を含めると2000万人が訪れていると言う。登録後も関係者は、富士山の文化・芸術的価値を未来に向けて保全、継承していく様々な取組を続けている。同課の柏木貞光さんは「山梨県では条例を制定し、富士山の周辺で新たに建造物を建てる場合は完成後の景観をシミュレーションしていただき、景色に影響が出ないように配慮いただいております。ほかにも観光地の既存店舗の外観デザイン変更や広告看板撤去、無電柱化、登山道の落石防護壁の壁面緑化などで眺望、自然景観の修景を進めています」と話す。さらに山梨、静岡各県はそれぞれ「富士山世界遺産センター」を建設した。いずれも富士山の雄大な自然の魅力のみならず、信仰の対象、芸術の源泉となった理由、さらに現在も続く学術調査結果などを発信している。

入倉さんは「何故富士山が長きにわたって日本人に敬愛されてきたのか。これから訪日して富士山を訪れる予定がある方にはその理由の一端に触れ、世界文化遺産たるゆえんを知っていただくために、いにしえの登山スタイルを追体験できるツアー等への参加を薦めています。内容は、山麓の神社を参拝し、かつて富士山に登拝した信者の食事や宿泊などを世話した『御師住宅』に泊まって当時の御師料理を食べ、翌日に古道をトレッキングしていただくといったものです」と話す。

山梨県では上記のようなツアーへの一部助成のほか、かつての巡礼路を活用したモデルコースの提案も行っていると言う。今後、文化遺産としての富士山を体感できる手段が多様化し、新たな魅力に気付く訪日観光客が増えそうである。