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  • 発掘調査後に復元され、2003年に一般公開された平城宮東院庭園
  • 天龍寺庭園の曹源池
  • 仲 隆裕・京都芸術大学日本庭園・歴史遺産研究センター所長
  • 龍安寺の枯山水庭園
  • 京都の表千家不審菴。茶室へと導く飛石が打たれている露地。
  • オーストリアのウィーンのシェーンブルン宮殿にある日本庭園

May 2021

「生命体」のような日本庭園

仲 隆裕・京都芸術大学日本庭園・歴史遺産研究センター所長


日本では、古くから全国各地に様々な庭園がつくられてきた。仲隆裕・京都芸術大学日本庭園・歴史遺産研究センター所長に、日本庭園の特徴や歴史について話を伺った。

日本庭園の特徴を教えてください。

日本と同様に長い歴史をもつヨーロッパの庭園は、直線や四角などの幾何学的な造形を基調にデザインされる「整形式庭園」が主流です。一方、日本庭園は自然風景を模してデザインされる「自然風景式庭園」です。その重要な要素は、水、石、植物です。日本庭園では、これらを用いることで、実際の自然風景を縮小するだけでなく、思想や物語も表現するのです。例えば、水は川、滝、海、石は山や動物、白砂は海や雲を象徴します。常緑樹の松は「永遠の命」を表します。日本人が自然風景を模して庭園をつくってきたのは、日本が美しい海、島、川、山などの自然風景に恵まれており、日本人にそうした自然を強く敬う気持ちがあるからだと言えます。

日本では庭園はいつ頃からつくられてきたのでしょうか。

諸説ありますが、6〜7世紀にはつくられていたのではないかと推定されています。8世紀に都が置かれた平城京(現在の奈良市等)には大規模な庭園がつくられていました。その一つが、平城宮東院庭園です。発掘調査後に復元され、2003年に一般公開された東院庭園は、池や石によって海岸の風景が表現されており、自然風景式庭園としては最も古い遺構の一つです。東院庭園は、不老不死の仙人が住む島をモデルにしたと考えられる島*が池の中央につくられています。

発掘調査後に復元され、2003年に一般公開された平城宮東院庭園

8世末から12世紀末までの平安時代、都の京都で自然風景式庭園が発展します。代表的な例が平等院庭園です。平等院は有力貴族であった藤原頼通(992-1074)によって1052年に創建されました。当時の貴族の間では、阿弥陀如来を信仰することで、死後に極楽浄土に往生できるという仏教に基づく浄土思想が広がっていました。平等院庭園は極楽浄土の世界を表している庭園で、池の中央につくられた島には、阿弥陀如来坐像が安置される阿弥陀堂(鳳凰堂)が建てられています。

その後、どのような種類の日本庭園がつくられるようになるのか教えてください。

13世紀頃から、禅宗の思想の影響を受けた「枯山水」(かれさんすい)が広がります。枯山水は、水を使わず、石や白砂で、山、島、海、雲などの自然風景を表す庭園です。京都の龍安寺、大仙院、西芳寺の庭園が、枯山水として有名です。

龍安寺の枯山水庭園

西芳寺の枯山水をつくったのが、禅僧の夢窓疎石(むそう そせき)(1275-1351)です。夢窓疎石は、全国各地で寺院を開き、作庭に関わりました。京都の天龍寺はその一つです。日本庭園には庭園外部の景色を庭園の景色の一部とする「借景」という手法がありますが、天龍寺の庭園は嵐山などの山々を借景とした庭園です。庭園の中心にある曹源池(そうげんち)の周囲には、大小様々な石が配置されています。その中の、龍門瀑(りゅうもんばく)は、いくつもの石のみを組み合わせて、鯉が水の流れの激しい滝(現在は枯れている)を登り龍へと変化する姿を表しており、悟りをひらくまで、ひたすら修行をしなければならないという禅の教えを意味すると言われています。

天龍寺庭園の曹源池

そして、16世紀に茶の湯が広まると、茶室への入口に「露地」(ろじ)がつくられるようになります。露地は、都市の中で、里山の中の風景を模しており、客人を、現実世界から、茶室という別世界へと導く空間となります。露地には、人工的な要素が最小限に抑えられ、茶の湯の基本思想の一つ「簡素な美」が表現されています。例えば、露地に敷き並べた「飛石」(とびいし)は、茶室へと向かう客人の履物が土で汚れないためのものですが、石そのものの形や配置によって、庭の美しさを引き立てます。

京都の表千家不審菴。茶室へと導く飛石が打たれている露地。

現在、海外でも多くの日本庭園がありますが、どのようなきっかけで海外に広がったのでしょうか。

大きなきっかけになったのは万博です。1873年のウィーン万博で、日本人の職人によってつくられた日本庭園がヨーロッパで初めて展示され、大きな反響を呼びます。その後、フランスやアメリカで開催された万博でも日本庭園が展示され、西洋において日本庭園が知られるようになりました。

ヨーロッパの日本庭園の一つが、オーストリアのウィーンのシェーンブルン宮殿にある日本庭園です。この日本庭園は、1912年にイギリスのチェルシー国際園芸博覧会で展示された日本庭園に感銘を受けたウィーンの宮廷技師によってつくられましたが、第二次世界大戦後、長い間、放置されていました。私は、1998年から約2年間にわたって行われた調査、修復に参加しましたが、調査する中で、多くの石を使う日本庭園と、多くの花を植えるヨーロッパの庭園の特徴が融合した庭園だったことが判明しました。約100年前に、日本人の助けなしで、このような庭園がつくられていたことに、とても感銘を受けました。

オーストリアのウィーンのシェーンブルン宮殿にある日本庭園

海外の方々に、日本庭園のどのような点に特に注目してほしいとお考えでしょうか。

日本庭園は長い年月の中で変化しています。大きく成長する植物もあれば、枯れて植え替えられるものもあります。石も風雨にさらされることで形を変えたり、傾いたりもします。まさしく、日本庭園は、さながら生き物のように変貌し、「生きて」いるのです。新型コロナウイルス感染症流行収束後には、多くの海外の方々に、そうした「生命体」である日本庭園を直接見て、その生命力を感じて頂きたいです。そして、日本庭園と「対話」してほしいです。日本庭園は、様々な思想をもとにつくられています。同じ庭園を見ても、人によってその思想の解釈は異なり、一様ではありません。庭園の美しさだけに注目するのではなく、「この庭園は何を私に問うているのか」と庭園と対話し、自分なりに解釈を深めることによって、日本庭園を見る楽しさはさらに大きくなるでしょう。

* 古代中国に起源がある、人間が不老不死の神仙になれる神仙思想の考え方を表しているという説がある。