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  • 西本昌司・愛知大学教授
  • 長野県産の黒曜石の矢じり
  • 石舞台古墳(奈良県)
  • 黒っぽい安山岩と白っぽい花崗岩が混じった江戸城の石垣の一部
  • 外壁に真壁石が使われている迎賓館赤坂離宮
  • 4種類の石が使われた日本橋
  • 東京の地下通路の壁にあるアンモナイトの化石

October 2021

多様性あふれる日本の石

西本昌司・愛知大学教授


日本人は古くから、様々な種類の石を道具、建築、工芸品などの材料として幅広く利用してきた。愛知大学教授の西本昌司(にしもと しょうじ)さんに日本の石の特徴について話を伺った。

長野県産の黒曜石の矢じり

日本の岩石にはどのような種類があるのでしょうか。

岩石(一般的には「石」)は、そのでき方によって、火成岩、堆積岩、変成岩に分けられます。火成岩は、高温のマグマが冷えて固まってできた岩石です。堆積岩は、元からあった岩石が砕けた砕屑(さいせつ)物や火山灰などの火山噴出物が積もってできた岩石です。そして、変成岩は、火成岩や堆積岩に熱や圧力が加わることによってできた岩石です。

これらの岩石は、石英、長石、雲母など様々な鉱物の集合体ですので、含まれている鉱物の種類や割合によって分類されています。それぞれ、色や硬さなどの特徴も異なります。

日本の国土はそれほど広くないにもかかわらず、複雑な地質を反映して、多種多様な石を産出します。各地域で特産の石があり、その石の特徴に応じて、道具、建築、工芸品などの材料として利用されてきました。

日本では石がどのように使われてきたのか教えてください。

最も古くは、石器として使われていました。その材料となった石の一つが、マグマが急冷してできた黒曜石です。黒曜石は天然ガラスで、叩き割ると鋭利な割れ口が生じるので、約3万年前から弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀)にかけて、矢じりやナイフなどの石器に加工されていました。火山国である日本には、黒曜石を産出する場所はいくつもありますが、長野県和田峠から八ヶ岳地域にかけては特に有名です。“黒曜石鉱山”の遺跡も見つかっており、産出地から他の地域にも広く伝播していたことが遺跡の発掘調査で判明しています。

3世紀から6世紀にかけて、日本では様々な古墳(土や石を盛った古代の墓)が作られましたが、古墳の一部に石が使われました。石と言って思い浮かぶ古墳の一つが、奈良県の石舞台古墳です。石舞台古墳には、かつて古墳の上に盛られていた土は残っておらず、周辺に分布する火成岩の一種(花崗岩の仲間であるトーナル岩)の巨石約30個を組み立てられた石室がむき出しになっています。石の総重量は約2300トンと推定され、これらの石を人の力で運んだとは驚きです。

石舞台古墳(奈良県)

一方、日本は木材資源が豊富だったので、石造の建物は普及しませんでしたが、住宅、寺社、城などの建物の土台には石が敷かれています。16世紀から17世紀にかけて建てられた城では巨大な石垣も築かれました。徳川幕府の中心である江戸(現在の東京)に築かれた江戸城の石垣は、今も皇居周辺で間近に見ることができます。河川で運ばれてきた土砂が堆積して形成される沖積平野の中央部に位置する江戸(東京)では、石材として使える大きな石は採れないにもかかわらず、江戸城の石垣は黒っぽい安山岩と白っぽい花崗岩で築かれています。安山岩は主に、江戸からさほど遠くない神奈川県の真鶴(まなづる)半島、静岡県の伊豆(いず)半島のものを船で運び、使っていますが、花崗岩は、江戸から遠く離れた瀬戸内海の島々から船で運ばれてきています。石垣には硬い花崗岩のほうが適していますが、鉄道のない時代に、内陸から陸路で大きな花崗岩を運ぶ手段がなかったのです。幕府は江戸城を多くの大名を動員して造ったわけで、巨大な石垣を見ると、いかに徳川将軍家に力があったのかが分かります。

黒っぽい安山岩と白っぽい花崗岩が混じった江戸城の石垣の一部

明治時代(1868年〜1912年)に東京では石を使った建築物が増えますが、なぜでしょうか。

日本は明治時代、近代化を進めるために、西洋諸国の社会制度、文化、技術を積極的に導入しました。その中で、建築物も石を使った西洋風のものが造られるようになったのです。しかも、明治時代には鉄道が発達したため、内陸からも様々な石が東京に持ち込まれるようになりました。明治時代から昭和初期の洋風近代建築に使われている石材を見ると、そんな歴史が見えてきます。

例えば、港区の迎賓館赤坂離宮です。1909年に東宮御所(皇太子の御所)として建設された迎賓館は日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築ですが、その外壁には茨城県桜川市真壁(まかべ)町で産出する花崗岩の「真壁石」が使われています。真壁は、香川県高松市庵治(あじ)町、愛知県岡崎市と並ぶ、花崗岩石材(御影石)の三大産地の一つで、伝統工芸品として石灯籠が特に有名です。花崗岩は非常に硬いため、細かい加工が非常に難しいのですが、迎賓館の外壁の真壁石には、様々な彫刻が見事に施されており、当時の石工の技術の高さを感じます。ちなみに、ヨーロッパ産の美しい大理石も内装の随所に使われています。

外壁に真壁石が使われている迎賓館赤坂離宮

日本で最も有名な橋の一つ、東京都中央区の日本橋にも様々な石が使われています。日本橋は1603年、徳川幕府によって初めて架けられましたが、木製だったので江戸時代に何度か焼失しました。西洋風のデザインを取り入れた現在の日本橋は1911年に造られたもので、4種類の花崗岩が使われています。橋脚と基礎部分は、瀬戸内海に浮かぶ黒髪島(くろかみじま。山口県)の「徳山石」、欄干は、やはり瀬戸内海の北木島(きたぎしま。岡山県)の「北木石」、側面は真壁石、アーチ部分と路面は茨城県の「稲田石」です。それぞれの石の強度や加工のしやすさといった特徴に応じて、4種類の石を使い分けているのだと思います。これらの石はその後、道やビルなどの建築材として幅広く使われるようになり、日本の近代化を支えました。

4種類の石が使われた日本橋

また、1936年に竣工した国会議事堂は、できる限り国産品を用いるという方針のもと、国産石材だけで建設されたため、外装や内装に日本の様々な種類の石が大量に使用されており、まるで“石材博物館”のようになっています。石だらけの国会議事堂建設は、日本における石材利用を促したかもしれません。

建築材としての自然の石の魅力は何かを教えてください。

決して人工的には生み出せない、自然が創り出した不均一な模様にあると私は思います。明治時代以降、急速に発展する東京では国内外から様々な石が使われました。ただ、日本は地震が多いので、伝統的な西洋建築のように石だけを積んで建築物を造るのは困難でした。明治時代に建築物の主要な構造体の材料としてコンクリートが普及する中、石は主に内外装の材料として広く使われるようになりました。石を使った建築が西洋的に見えたという理由もあるでしょうが、地球が途方もない長い時間をかけて創り出した石の色や模様に装飾的な魅力を感じたからだと思います。たとえ、内壁や外壁がコンクリートの打ちっぱなしで機能的に問題ない場合でも、大理石が使われていると、やはり多くの人が高級感を感じてしまうのではないでしょうか。

街で石を観察することの面白さを教えてください。

多くの人は気付いていませんが、街には石があふれています。ビルの壁、歩道、ホテルのロビーなど、あちこちで石が使われています。そうした石を見て、何の種類か、どのようにできたのか、なぜこの石を使っているのかなど調べると、私の専門である地質学という分野を超え、石が都市の歴史、文化、経済などと幅広くつながっていることが分かり、非常に面白いのです。

特に東京は石の宝庫です。東京駅の周辺は世界中から集められた様々な石で彩られていているので、石の観察に絶好の場所です。百貨店、ホテル、高層オフィスビルなどの建物の外壁、内壁、床に使われている石をよく見ると、1億年以上前にできた石灰岩(石材名では「大理石」)の中に含まれるアンモナイトなど太古の生物の化石を見つけることもできます。普段、何気なく歩いている街でも、石に注目すると、新しい発見があると思います。

東京の地下通路の壁にあるアンモナイトの化石