September 2023
音楽を通してアフリカと日本の架け橋に
セネガルの世界遺産・ゴレ島*出身のラティール・シーさん。1995年に来日後、パーカッショニスト(打楽器奏者)、シンガーとして様々な日本のアーティストと共演するほか、数々の国際的なイベントで演奏を披露している。
幼少期からアフリカン・ドラム(打楽器)の一種、ジェンベ**を弾き始め、パーカッショニストとして活躍してきたラティール・シーさん。1994年、21歳のときに初来日した際に日本文化に興味を持ち、「日本でアフリカン・ドラムを広めたい」という気持ちが芽生えたそう。翌年に再来日し、日本を拠点に活動をスタートさせた。
「来日したばかりの頃、日本の古典芸能・能楽(のうがく)を鑑賞し、日本の伝統的な打楽器・大鼓(おおつづみ)の奏者である重要無形文化財総合指定保持者・能楽師の大倉正之助氏と交流する機会がありました。大鼓はアフリカン・ドラムの一種であるトーキング・ドラムと形が非常に似ており、動物の皮を用いている点など共通点も多い。演奏方法や音色に大きなインスピレーションを受けました」
そして、ほどなくラティールさんは、日本の能や狂言といった古典芸能とコラボレーションした海外公演に声をかけられる。公演は評判を呼び、1998年の長野オリンピック、2004年のアテネオリンピック聖火お迎え楽劇を始め、国内外の国際的なイベントでも演奏してきた。中でも印象的だったのは、2002年、当時のアメリカ合衆国国務長官のコリン・パウエル氏らが臨席する米国のワシントンD.Cで行われたシルクロード・フェスティバルのオープニングセレモニーで、日本の狂言師・野村万之丞氏とともに演奏したことだ。要人たちの出席する大きなイベントで、ラティールさんは身が引き締まる思いだったという。「本来であれば関わることのできない厳しい日本の古典芸能の舞台に、アフリカを代表し世界的に有名なアーティストと共演できたのは大変光栄ですし、日本の伝統芸能の新しい形に非常に驚きました」とラティールさんは語る。このほか、著名な日本人アーティストと共演を重ねるほか、CMの音楽制作にも携わり、各地でアフリカン・パーカッションのワークショップを開催するなど幅広く活動してきた。
「音楽を通して日本とアフリカの架け橋になりたい」と語るラティールさん。その言葉には、国やジャンルを超えたセッションによって音楽の新しい可能性を追求していくだけでなく、「アフリカの魅力をもっと多くの人に知ってほしい」という想いも込められている。
「アフリカの音楽というと、多くの方は激しくてリズミカルな音楽をイメージするのではないでしょうか? しかし、アフリカの音楽にはヒーリングミュージックのような静かな音楽もあります。アフリカと一言で言っても広大で、地域によって様々なリズムがあり、文化も多様です。音楽の世界だけに留まらず、50国余りあるアフリカの国々、各地域の文化や歴史、経済なども含めて、アフリカの今の本当の姿を多くの人に知ってもらいたい。私の活動が、そのきっかけになればうれしいです」
来日当初、ラティールさんは日本語がほとんどわからず、苦労することも多かったという。しかし、「音楽に言葉はいらない」と語るように、一度音楽を奏でれば、国籍などの違いを超え、そこにいる皆が一つになっていく世界が音楽の持つ魅力であると実感し、セネガル人としても、そして日本の音楽文化を表現する一人のアーティストとしても、活動の幅を広げてきた。
ラティールさんは、これからもアフリカ音楽という枠に留まることなく、日本の古典音楽、クラシック、ラテン、ジャズ・ロックといった幅広いジャンルと融合した新しい音楽を生み出し、多くの人に感動を届けていくにちがいない。
* アフリカのセネガルにあるゴレ島は、1978年にユネスコの世界文化遺産として登録された。首都ダカールの沖合に浮かぶ孤島。奴隷貿易の拠点で、1776年に建設された収容施設などが残っている。
** 西アフリカで伝統的に使用されてきた打楽器。丸太を杯(さかずき)型にくり抜いて、広いほうの口にヤギや羊など動物の皮を張り、狭いほうの口は開けておく。素手でたたいて演奏し、たたく位置とたたく手の形により、数種の異なる音を出し分けることが可能である。ジャンベ、ジンベとも呼ぶ。