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Highlighting JAPAN

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日本の夏

日本の暑い夏を楽しむ工夫(仮訳)

熊倉功夫氏インタビュー

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日本の夏は時として、すべての季節の中でももっとも歓迎されていない季節のように見える。灼けるような暑さに湿度が加わり、過ごしにくいと感じる人が多いようだ。昔の日本人も夏を厳しい季節として捉えていたと静岡文化芸術大学学長であり、日本文化史の権威でもある熊倉功夫氏は言う。熊倉氏は、日本人が家屋の建て方の工夫や、食べ物、祭りなどの行事、独特の習慣などでいかに厳しい夏を快適に過ごしてきたかを話してくれた。

日本三大随筆として知られる吉田兼好の『徒然草』の一節「家の作りやうは、夏をむねとすべし」とあるように、夏の蒸し暑さがもたらしたもっとも顕著な影響は日本の伝統的な建築に見られる。特に日本の南部の建築や家屋ではことさら夏の熱気を外に出すようにつくられていると熊倉氏は言う。日本の家屋は薄い壁からなる木造建築に、障子で仕切った部屋といった構造だ。障子を外せば家中に空気を循環させることができる。また風を入れながらも、夏には付き物の蚊を中に入れないようにするため、粗い目の麻の織物である「蚊帳(かや)」と呼ばれるものを室内に吊るした。

家の外では、人々は庭先や土の道に打ち水をした。これは土埃を防ぐと同時に、水が蒸発することで空気を冷やす役割もある。しかし、この習慣は周囲を清めるという意味合いもあったと熊倉氏は説明する。この習慣は、お客様に対する敬意という意味でも行われることが多く、今日の日本にも受け継がれている。

夏は食生活にも影響を与えている。夏の食材には軽く、さっぱりとした味のものが多い。しかし、あっさりとした酢の物などだけでなく、こってりとした食材も夏には人気の食べ物だと熊倉氏は言う。うなぎなどのこってりとした食べ物は、夏バテを防ぐ働きがあるからだそうだ。彼は京都の人が夏に脂ののったハモを好んで食べるのを例に挙げる。ハモは穴子の仲間の強い生命力のある魚で、かつては瀬戸内海から古都京都までの長い道のりのあいだも水なしで生き続けたので夏の時期でも新鮮な状態で食べることができたと言う。料理人はハモの身を、皮を切ることなく身と骨だけを数ミリ単位の細かさで注意深く切り刻む。こうして骨まで食べられるようにした白身の魚は繊細な形に整えられ、梅肉を添えて美しい白い牡丹の花のように盛りつけられる。ハモの白身は見た目も涼やかで、梅肉の爽やかな味とあいまって、さっぱりと食べながら精をつけることができる。

夏は当然人々の体力も奪う。それに対して、人々は夏祭りなどの独特な行事を行うことで夏の数ヶ月を乗り切る元気を養った、と熊倉氏は話す。例えば、日本の各地で6月30日に行われる「夏越祓」(なごしのはらえ)という行事では、葦でつくられた2メートルの高さにもなる「茅の輪」が神社の前に据えられる。この輪をくぐることは赤ん坊の誕生を象徴しており、人々は清められ、また一年を生まれ変わって過ごすことができるのだ。

夏の風物や音にもう少し注意を向ければ、暑苦しい季節も五感に心地よいものに変えることすらできる。日本人は数多い夏の虫のひとつひとつに名前をつけ、その声の変化に移ろいゆく夏を肌で感じていたと熊倉氏は言う。たとえば風鈴が鳴るのも、風が吹き抜けていることに気がつくだけで少しは涼しく感じられたのだろうと彼は言う。

夏に過ごしやすいように住まいを整えたり、夏の旬の食べ物を味わったり、行事や祭りに繰り出したりといったことにより、「夏を過ごすことそのものが楽しみになる」と熊倉氏は言う。昔も今も、向き合い方一つで、夏はこんなにも楽しいものに変わるのだ。


お盆を祝う

日本人にとって、夏は特別な季節である。なぜなら、日本では夏の「お盆」と呼ばれる時期に、先祖の魂があの世から家族のもとへ帰ってきて、家族と楽しいひとときを過ごすと言われているためだ。お盆の始まりには迎え火を焚いて先祖の霊を迎え、終わりには送り火を焚いて送り出すといった先祖の供養が古来より行われてきた。送り火や花火など、火を使った行事が夏に多いのも、亡くなった人の供養の意味がある。また、今では地域の夏の行事として定着している盆踊りも、もともとはお盆に帰ってきた先祖の霊を迎えて感謝するための踊りだった。先祖の霊を供養し、疫病や天災が起こらないようにと祈る。これが日本各地で発展し、現代の夏祭りになっていった。





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