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Highlighting JAPAN

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日本のテキスタイル

京都の手繍い刺繍

時代の変化を生き残るための巧みな伝統工芸(仮訳)

光沢のある白い羽毛をまとった二羽の鶴が華やかな絹地を背景に喜びの踊りを踊る。そばには薄く透き通る雲が漂う。羽毛のひとつひとつが細やかな美を織り成し、絹糸を通して彼らの喜びと優雅さもそこはかとなく表現されている――。手作業で丹念に繍い込まれたこの織物は、京都の手繍い刺繍を意味する京繍と呼ばれ、 長く豊かな歴史を有する美しく伝統ある日本織物のひとつである。その歴史は、日本の飛鳥時代にまでさかのぼり、千年を超える歴史を持つ。

日本における最初の刺繍には、中国から伝わった仏教との関連が見られる。当時の刺繍は宗教上の偶像を表現したり、宗教的なものを装飾するために用いたりするものであった。その後、平安時代には宮中で着る十二単に京繍が施されたり、鎌倉時代には武将の胴服に用いられたりするなどして発達していった。1500年代後半、華麗な文化が咲き誇った安土桃山時代には小袖に多用され、さらに栄えていった。これらの高雅な着物は、ただ一着を作るだけでも数十人から時には数百人にもおよぶ腕利きの専門刺繍職人を投じて作られた。

またこの時代から刺繍は庶民にも広がっていった。京繍は、着物や帯 (着物を固定するための幅広で長い布) の装飾だけではなく、日本の伝統演劇である能や狂言において役者の衣裳を装飾するという伝統的な使われかたをしてきた。刺繍の対象となるのは、主に花、植物、動物、虫、雲などの自然の情景である。

京刺繍の技術を事業として1921年に創業した中村刺繍が受け継いでおり、職人は今でも手作業の鍛造法によって広島で生産された針を使い、手作業で絹に絹を重ね縫いする伝統的な技を駆使する。中村刺繍における三代目の工芸師長である後藤美鈴さんによると、刺繍糸は通常は12本の撚り糸からなるが、精細な美しさを追求する刺繍師は、撚り糸をわずか2本にして使うこともあるのだが、その1本の太さは髪の毛の太さの半分に満たない。

「このような精細な絹糸を使うことによって、色調のグラデーションを生み、好きな色を作り出すことができます。そして精緻な色や濃密な色合いだけでなく、色づいた落ち葉のような複雑な陰翳も表現できるのです」と後藤氏は言う。

37年もの経験を有する後藤氏は、締めていた帯に彼女自身が施した作品を見せてくれたが、そこにはわずか数センチメートルの範囲内にいくつもの花や葉が表現されている。これを作り上げるのに要した時間を尋ねると、彼女は「2日です」と答える。帯の裏側にはさらに大きくてより精巧な孔雀があしらわれているが、これには数週間を要するという。彼女は、橙色の絹の細糸数本を取り分け、巻き取って撚り込み、小さな針に通すという手練の技を見せてくれる。彼女の運針は驚くほど細かい。刺繍の仕上げとして、紅葉の内部を縦糸を横切るように繍う糸の間隔は1ミリメートルほどしかない。

中村刺繍はオリジナルデザインの製品に加えて特注品も生産しているが、近年はミシンの刺繍が一般的となり、日常的に着物を着る人も減っている。この工房は、刺繍教室を開いて「体験」をしてもらうという活動、即ち一般の方が自分で刺繍を試みて扇子入れやふくさなどの土産として持ち帰りができる一日体験を開くことでそのような時代の変化に対応している。参加者は一日体験中に手作業で飾りつけたトラベルマグを作ることもできる。「京都風の土産を家に持ち帰りたいという人には最適ですよ」と後藤さんは言う。

トラベルマグだって? 大いに結構ではないか。豪華な絹の美しさを日常生活に持ち込むのに良し悪しはない。京繍は、後藤氏や中村刺繍のような会社の貢献により、日本において1300年を超えて受け継がれてきた生きた伝統工芸であり、今後も生き続けるだろう。



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