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Highlighting JAPAN

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連載 47の物語

富山県

五箇山: 生きた博物館(仮訳)




富山県の五箇山を訪れるとそこはまさにおとぎ話の1ページのようだ。古き時代をそのまま体現した独特の藁葺き屋根のひなびた農村住宅が森で覆われた山間に立ち並び、深い雪が五箇山の歴史的な集落を美しい冬のワンダーランドへと様変わりさせている。

五箇山がユネスコの世界文化遺産となったのはこの古い農村住宅のためだ。合掌造りとして知られる、重たい雪を落とすための急勾配の屋根を持つ家々はまるで祈るときに合わせられた手のようにも見える。元の木造部分は数百年の年月を経ていて、ここにある他はこの地域と隣接する岐阜県の白川郷にしか残っていない。

西赤尾という集落には、五箇山で最も古く、最も大きな岩瀬家がある。中に入ると、主人の岩瀬幹夫さんが、吊り下げられた黒い鉄瓶から湯気が立ち上る床に掘られた囲炉裏の方へと招き入れてくれた。岩瀬さんはお茶を注ぎながら、300年以上昔にこの5階建ての家屋がどのように建てられたのかを語る。それは岩瀬一族がこの地で500年の歴史を持ち、彼がその18代目であることを話してくれるまでもなく十分驚きに値する。

この地域の多くの家と同様、岩瀬家もかつては養蚕を営んでいた。また、江戸時代より前から製造していたとされる火薬にかかる税の取り立ての役目もしていた。家屋が相当のものであることは、その構造に日本でもっとも丈夫な木材であるけやきの木が使われていることからも明らかだ。釘を必要としない優れた大工によって緻密に組み上げられたその骨組みは、いまでもびくともしない様子だ。しかし、藁葺きの屋根は25年に一度は葺き替えられなくてはならない。岩瀬さんは、その費用の高さと作業の大変さで合掌造りの農家の数が60年ほど前の1600軒から、今日ではわずか200軒に減ってしまったことを残念に思っている。

この生きた博物館を見て周るだけでも十分に魅力的だが、訪れた人々は合掌造りの家で一晩泊まってその魅力を堪能することもできる。相倉という集落では、民宿勇助に泊まることで、囲炉裏の周りに座り、山菜を使った食事を味わったり、畳の上に敷かれた柔らかな布団に寝たり、香りのいいヒノキのお風呂に浸かったりと、昔からほとんど変わらぬ農家の暮らしを体験することができる。

農業に根ざした生活は、豊作を祝う祭りや野良仕事の際に歌う歌や踊りを生み出し、五箇山地方に豊かな民謡の伝統をもたらした。その一つには、地元の人たちが昔の田舎侍の装束をまとい、日本最古の民謡ともいわれている「こきりこ節」に合わせて「ささら」と呼ばれる独特な打楽器を演奏しながら踊るものも含まれるだろう。かつてはこの歌と踊りは豊作と農民の苦労への感謝のために演じられた。

他にも五箇山には数えきれないほどの昔ながらの営みを見ることができる。地元の職人、宮本謙三さんは和紙の伝統的な作り方を継承している。宮本さんは、木の皮を雪の中で漂白したり、繊維を割いて圧縮した後その一枚一枚を干したり、その他様々な和紙作りの工程を根気よく説明してくれる。宮本さんの高品質な和紙は日本の重要文化財などの修復にも使われている。

五箇山のノスタルジックな風景はいつの季節でも特別だ。しかし、日本の田舎の歴史を知るのに、何百年もの歴史を刻む家屋で、冬の寒さが厳しい頃に囲炉裏の暖かさに包まれながら昔の話を聴くよりも良い方法は他にはあまりないだろう。



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