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Highlighting JAPAN

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なぜここに外国人

藍色の夢

日本の織物技術を守り、伝える(仮訳)


藍染めの青紫色の鮮烈さは、作る過程での努力を反映するかのようだ。種植えから収穫、乾燥、発酵、そして最後に染める作業に至るまでの過程が1年かかり、昔は普通にいた職人も現在では随分と減少している。

その数少ない職人の一人が、染料を育て、加工し、扱って、この道21年のカナダ人の職人、ブライアン・ホワイトヘッド氏だ。東京西部の藤野という小さな町の端にある山村を拠点とするブライアン氏は、1994年に藍染めの伝統工芸に手を染めるようなった。

現在では、インディゴの元となる色素を抽出できるタデアイを100坪栽培している。豊作な夏には3度も葉を収穫することができ、それを秋から冬にかけて発酵させて作ったインディゴペーストを使い、自身で紡いだ絹の糸や織布を染めてゆく。彼は19年にもわたってカイコを育て、絹を紡ぎ、テキスタイルを織ってきたのだ。

学校卒業後、ブライアン氏は広告業界に勤めていたが、今やその頃抱いていた将来像とはかけ離れている。物質主義を生み出す将来は自分には合わないと早々に判断した彼は、カナダを離れてアジアへ渡り、25歳の誕生日にまずは5年のつもりで日本へやってきた。当初は墨絵を学び、クリエイティブな道を進み始めたが、いつしか彼の興味は織物へと移り変わり、5年のつもりが26年の月日が経っていた。

ブライアン氏は、贅沢で質の良い手づくり製品と、繊細さとデザインが特徴的な日本の織物とその他の日本のものが大好きだと話す。加えて、日本には、鑑賞力を持ち支持してくれるファンと、長く豊かな文化の歴史があることから職人にはうってつけの国だと言う。

その長い歴史には少なくとも1000年以上に及ぶともいわれる藍染めの歴史も含まれ、藍色の織物が普遍的であった江戸時代には特に盛んであった。しかし、19世紀の合成のインディゴ染料の創出により、伝統的な藍染めの生産は極度に低迷し、その時間を惜しまない技法は消滅する危機にあった。

世界中の人々が伝統的な藍染めが生み出す色合いの多様性や奥行きを再発見し始めた今、ブライアン氏は藍染め復活の一端を担っている。過去10年に渡り、国内外の生徒たちに、170年にわたって蚕を育て、絹を紡いできた養蚕農家の家屋で、藍染めの技術を教えてきた。春と秋にそれぞれ10日間行われるブライアン氏のワークショップは、有名なファッションブランドのプロのデザイナーや織物ファン、そして天然の染物が趣味という人々に人気だ。最大限の配慮や指導を行えるようにグループは7人から10人の少人数制で行われている。

ワークショップはブライアン氏の情熱を惜しみなく詰め込んだ内容であり、日本の織物の歴史、機織りや絹の加工、そして何よりも大事な藍染め技法の絞り染めと型染めを含む。ワークショップを通じて生徒たちは他の伝統工芸にも触れ、その職人に会う機会も作られる。

ブライアン氏の将来の目標は彼の持つ知識を伝えることと、何よりも良い先生になることだ。「生徒の成長を見るのが楽しい」と言う彼は、20代や30代に学んだことを40代以降には与え始めるものだと話す。

ブライアン氏は人並み以上のことを与えている、つまり、人に自身の技術を発信するだけでなく、藍染めに新たに命を吹き込んでいるのだ。

 



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