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Highlighting JAPAN

日本の国民的体操「ラジオ体操」

「ラジオ体操」は、長寿王国と呼ばれる日本の健康増進に一役買っており、誰もが気軽にできる運動として、90年以上にわたって日本人に親しまれている。

「ラジオ体操」は、学校や職場、あるいは地域で行われている、日本人にとって非常になじみ深い体操である。軽快なピアノの伴奏曲に合わせ、約3分間に13種類の運動を行う。

「ラジオ体操の始まりは、1920年代に逓信省簡易保険局(現在のかんぽ生命保険)の職員が、アメリカのラジオで健康体操が放送されていることを知り、日本でもやってみようと提唱したことがきっかけと言われています」と、NPO法人全国ラジオ体操連盟理事長の青山敏彦さんは言う。

1927年、逓信省簡易保険局は日本放送協会(NHK)や文部省(現在の文部科学省)などの協力を得て、ラジオの活用による国民の健康増進を目的とした「国民保健体操」を考案し、翌年からNHKで放送が開始された。

「当時の正式名称は『国民保健体操』で、『ラジオ体操』という呼び名はあくまで愛称だったそうです。その頃はラジオ放送が始まって間もない時代でしたから、まだラジオそのものが珍しく、スピーカーからラジオ体操の音楽が流れてくると、それだけで大勢の人が集まってきたそうです」と青山さんは話す。

ラジオ体操を普及させるために、簡易保険を扱う全国の郵便局員がラジオ体操の振り付けを図解したパンフレットを持参して各地で講習会を開いた。やがてラジオの普及とともにラジオ体操も浸透していった。放送開始から10年後の1938年には、日本各地のラジオ体操の集会に、年間延べ1億5700万人もの人が参加するようになった。

ところが、1945年の第二次世界大戦終結に伴い、日本の占領政策を実施したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によりラジオ体操は一時禁止されてしまう。曲に合わせて一斉に行う体操が全体主義的だと見なされてしまったためである。その後、スローな伴奏曲や自由な動きを取り入れたラジオ体操が作られ放送が再開したが定着はせず、放送は一時中止となった。しかし、ラジオ体操復活を望む国民の声が政府やNHKに数多く寄せられるようになったため、老若男女を問わず誰でもできる新しいラジオ体操が再び作られ、1951年から放送が開始された。

すると、新しいラジオ体操はたちまち全国に広まっていった。その理由の一つは、小学校の夏休みに合わせ、校庭や公園で「ラジオ体操の会」が実施されたことである。子どもたちには、小学校などを通じて無料の出席カードが配られ、早朝のラジオ体操に参加するとカードにハンコが押された。

「夏休みの終わりには、参加回数に応じて鉛筆やノートをもらったり、皆勤者には記念品が贈られることもありました。それで子どもたちは競って参加したのです。一時期、この出席カードは3000万枚も印刷されたそうですから、ラジオ体操の普及には相当な効果があったのだと思います」と青山さんは言う。

近年の調査によると、今でも日本国内で週2回以上ラジオ体操を行っている人は約2700万人いると推定されている。そして、ラジオ体操を習慣として続けている人は、そうでない人より代謝機能が活発で、高齢者の場合には体内年齢が実年齢より約20歳も若いという調査結果もある。

「ラジオ体操の始まった1920年代、日本人の平均寿命は40歳台でしたが、それが今では男女とも80歳を越えています。健康増進という観点から、海外からもラジオ体操を教えてほしい声は非常に多く、連盟では出張指導も行っています」

青山さんによると、昔のように学校で体操のカードを配ったり、体育の授業でラジオ体操を教えることはあまりなくなったものの、ラジオ体操の運営は各地域の町内会や商店会、企業によって行われ、より幅広い年齢層の人々が参加するようになっているという。健康増進ばかりでなく、人と人とを結びつける運動としても、ラジオ体操は日本国民に愛され続けている。