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  • 多摩平の森
  • 建替え前の多摩平団地
  • 多摩平の森での地域住民の交流
  • 菜園付きの共同住宅「AURA(アウラ)243」

July 2020

東京の団地の新しいかたち

多摩平の森

東京のベッドタウン、東京都日野市にある「多摩平団地」では、建替えを機に新しいまちづくりを進めてきた。現在では、大学生から子育て世代、高齢者が交流する新たなコミュニティが生まれている。

建替え前の多摩平団地

1950年代から1960年代中頃にかけての高度経済成長期、日本の都市部では働き手不足が深刻化し、その解消策として地方から多くの若者たちが集まった。そうした人々に住まいを提供するため、日本住宅公団(現独立行政法人都市再生機構(UR))によって、一つの敷地や街区に何棟もの集合住宅が立ち並ぶ「団地」が数多く供給された。コンパクトではあるが、当時としては最新の水洗トイレ、風呂、ダイニングキッチン、ベランダを各戸ごとに備えた団地は、新しい生活様式の提案でもあり、人気を博した。

1958年に竣工した「多摩平団地」もその一つである。この団地は都心からJR中央線の新宿駅から約30分余り、最寄りの豊田駅から徒歩圏内にあり通勤に便利で、しかも緑が豊かな環境だったことから、入居の際の募集倍率は数百倍に上ったという。しかし、時代の移り変わりとともに、住宅の居住面積や設備が時代のニーズに合わなくなり、1996年に大規模な建替えと新たなまちづくりの計画がスタートした。

ところが、建替え計画に向けた居住者との合意形成は、平坦な道のりではなかった。UR都市機構の濱口貴裕さんはこう語る。

「居住者の多くは団地への愛着がたいへん強く、ここを『生涯暮らす家』と考えておられました。そのため、建替え事業を進めるに当たっては、日野市、団地自治会、URの三者で、建替えに関連するあらゆるテーマを話し合う勉強会を立ち上げました。この勉強会で居住者の皆さまの意見に耳を傾け、合意形成を図りながら事業を進めていったのです」

その結果、29万平方メートルの敷地に247棟あった建物を高層化して、11万平方メートル、30棟に集約。高層化で空いた敷地には、図書館や保育園などの公共施設、大型商業施設、民間業者の住宅などを誘致するという計画がスタートした。計画開始から12年後の2008年、多摩平団地は「多摩平の森」として生まれ変わり、新たな住宅への建替えが完了した。

一方で建替えという手法のみならず、持続可能なまちづくりという観点から、既存住棟を有効に活用するためルネッサンス計画を実施している。

多摩平の森での地域住民の交流

この計画の大きな特徴は、多様な人々の交流というコンセプトを体現した「たまむすびテラス」と名付けられた計5棟の住棟にまたがる3つの施設である。

一つは団地型シェアハウスの2棟。1階はキッチン、ラウンジ、シャワールームなどを備えた共用スペースで、さらにイベントやパーティに利用できるウッドテラスもある。1棟は近隣の大学が学生寮として利用し、もう1棟は入居者を一般募集したが、大学生や若い入居者が多いという。

そして、二つ目は菜園付きの共同住宅。住宅棟に隣接する菜園には、農機具を置く作業小屋や休憩スペースがあり野菜づくりを楽しみながら生活することができる。居住者だけでなく、近隣から菜園に通う人も多いという。

三つ目は、高齢者専用賃貸住宅であるが、併設する食堂では、昼食と夕食が手頃な価格で提供され、入居者のみならず誰もが利用できる。また、ハンドベルやコーラスの練習会などのイベントも開催され、様々な世代の人が集い、入居する高齢者との交流スペースになっている。

菜園付きの共同住宅「AURA(アウラ)243」

このほか、敷地内に新たに完成した「て・と・てテラス」と名付けられた街区には、日野市の社会教育センターや保育園、特別養護老人ホーム、リハビリ施設のある病院、スポーツクラブなどを誘致。保育園の子どもたちが病院を訪問したり、スポーツクラブが近隣の病院と連携して運動指導を行うなど、多様な世代の人びとの交流が広がる魅力的なコミュニティが誕生した。

「高度経済成長期、団地は、もっぱら『大量の住まいを供給する』ことが目的でした。時を経て、今、私たち目指しているのは『多様な世代が生き生きと暮らし続けられる住まい・まちづくり』です。これからも団地再生を通じて、新たなまちづくりを提案していきたいですね」と濱口さんは言う。

かつて新たな生活様式の発信地となった団地が、半世紀を超えて、再び新たな発信源になろうとしている。