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  • 尾形乾山(1663-1743)作「乾山銹絵染付梅波文蓋物」に盛り付けされたお節料理
  • 熊倉功夫MIHO MUSEUM館長

January 2021

和食を演出する器

熊倉功夫MIHO MUSEUM館長


日本では、飲食の用に供するために、様々な材質を使った多くの種類の器が作られてきた。MIHO MUSEUM館長で、日本文化史が専門の熊倉功夫さんに日本の器について話を伺った。

歴史的に日本の器はどのように発展してきたかを教えてください。

日本の器は、材料も形も実に多様です。粘土、ガラス、木や竹を使った器もあります。器にこれだけの種類がある国は世界的にも稀です。実は、日本で器の技術やデザインが大きく進化したのは、それほど古いわけではなく、16世紀から17世紀にかけてでした。それ以前は、木に漆を塗った漆器や土器、あるいは自然釉がかかった素朴な焼物が器の主流でしたが、中国、朝鮮半島、東南アジアで作られた焼物がその頃に大量に輸入され、珍重されました。それに刺激を受けるなどして各地域で焼物が盛んに作られるようになり、今日の唐津、美濃、瀬戸、伊万里といった著名な焼物の産地に発展していく元が築かれ、器の種類が豊かになっていきました。その背景には、茶の湯の影響があります。大名などもたしなんだ茶の湯では、お茶を飲むための茶碗を始めとして道具類が非常に重視されたため、結果、様々な器が作られるようになったのです。

日本では400年以上前に作られ、観賞用ではなく、実際に使われてきた器が今も大切に残され、国の国宝や重要文化財に指定されています。特に、平和が続いた江戸時代(1603~1867年)から、人々の生活の質が向上し、陶磁器をはじめ日常生活で使う身近な物の質を上げていこうとする文化的気運が高まりました。今でも、それは受け継がれています。

日常生活において日本人と器との関係は非常に深いと思います。例えば、日本人の家庭では、家族各人が使う飯茶碗や湯呑が決まっていることが多いです。日本酒が好きな人の中には、わざわざ自分の盃を持って宴会に行く人もいます。

また、日本語では人間的に寛大な人のことを「器が大きい」と表現します。器という言葉は人に備わった能力という意味もあります。器を人間になぞらえて、包容力の大きさを表現するように、日本文化を考える時のキーワードの一つとも言えます。

尾形乾山(1663-1743)作「乾山銹絵染付梅波文蓋物」に盛り付けされたお節料理

日本料理と器にはどのような関係があるのか教えてください。

現代の日本料理に大きな影響を与えた人物に、芸術家の北大路魯山人(きたおおじろさんじん)(1883-1959)と日本料理の有名な料亭の創業者、湯木貞一(ゆきていいち)(1901-1997)がいます。魯山人は「器は料理の着物」という言葉を残しています。良い器に料理を盛ることで、料理も良くなると言うことです。彼は市販されている器には満足できず、自らの手で料理に合う芸術的な器を数多く作りました。また、湯木は料理の献立を考えるときに、まず、器を並べて、その器に盛る料理は何が良いかを考えたと伝えられています。湯木は重要文化財級の貴重な器を集めて、自らの料亭の料理に用いました。こうした影響で、日本料理においては、器は単に料理を盛るためだけのものではなく、食事のテーマ、あるいは趣旨を演出するものという考え方が、家庭を含めて広く普及しました。例えば春なら春、お正月なら新年の到来を祝う、といった季節のテーマによって、器は変わります。

最近、海外でも日本料理は人気です。お召し上がりなる機会があれば、器に込められたテーマも感じて頂ければ、食事をもっと楽しんで頂けるものと思います。