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  • 石垣越しの大阪城
  • 垂直の壁を作るために一つの石から切り出された3つの巨石(下部)
  • 大名の紋章を彫り込んだ「刻印石」
  • 一つの石としては、日本の城でもっとも大きな「蛸石」
  • 1984年の発掘調査で発見された、城の創建当初の石垣の一角(2021年2月撮影)

October 2021

大阪城の石垣

石垣越しの大阪城

大阪城の石垣は、城の建てられた17 世紀初頭の日本の土木技術の水準の高さを余すところなく伝えている。

一つの石としては、日本の城でもっとも大きな「蛸石」

日本有数の大都市で、「2025年日本国際博覧会」の開催地ともなっている大阪市。その中心に建つ大阪城は、印象的な城の建物はもとより、それらを取り囲む総延長約12キロメートルに及ぶ壮大な石垣が特徴だ。天下統一を果たした武将、豊臣秀吉(1537- 1598)が1583年に築城を開始して、中枢域 (本丸。最も枢要な区域)は1年半かけて完成したという。しかし、秀吉の没後、幕府を開いた徳川家康(1543-1616)に攻め落とされ、現在の城構えは、17世紀前半に徳川幕府が再築したものである。

再築当時は、日本の築城に関する土木技術の円熟期に当たり、大阪城の石垣は最高の技術で組み上げられた。石と石の隙間がないくらいにしっかりと接合されているなど、完成度の高い技術が見られる。

石垣を築く工事は、幕府の命により西日本各地の64の大名が分担して進められた。その証として石垣には各大名の紋章を彫り込んだ「刻印石」がのこる。石垣には、約100万個の花崗岩が使われている。これらの石は、近隣の六甲山、瀬戸内海の島々、そして、大阪から約420キロメートルも離れた九州の採石場から運ばれた。

大名の紋章を彫り込んだ「刻印石」

大阪城の石垣は、規模の大きさとその精緻で整然とした美しさは、大名たちが威信をかけ建造した結果であるという。

まず、城の正面入り口、大手門をくぐると目を惹くのは、高さ5メートル、幅8メートルから11メートルにも及ぶ三つの巨石だ。これらの巨石は板状に加工され、石垣に壁のような形で組み込まれている。

大阪城天守閣の研究副主幹、跡部信(あとべ まこと)さんは「この三つの石は、一つの巨岩を3枚に薄くスライスしたものです。これはすごい技術ですね」と語る。

「本丸」の正門から正面に見えるのが、城の石として日本一の大きさを誇る「蛸石(たこいし)」だ。高さ5.5メートル、幅11.7メートル、重さ約108トンにもなる。「蛸石」の名前の由来として、雨が降ると表面に蛸の姿が浮かび上がるからと言われているが、跡部さんによれば、「現在はそうした現象は見られない」という。

垂直の壁を作るために一つの石から切り出された3つの巨石(下部)

本丸東側の石垣は、堀底に埋まる根石から34メートルに至り、日本の城でもっとも高く積まれている。跡部さんは、「堀の水面から上だけでも24~25メートルあり、堀の対岸から眺めると高さが際立ち絶景です」と説明する。

1959年に行われた発掘調査で古い石垣が発見されたことにより、現在の城は、豊臣秀吉による最初の城を埋め立てた上に建てられたことが分かっている。1984年の再調査では、創建当初の石垣が、良い状態で発掘された。現在、この石垣の公開施設を建設する「豊臣石垣公開プロジェクト」が進行中だ。

大阪城は、数百年前の日本の石組みの技術の高い水準を今日に伝えていると言えよう。

1984年の発掘調査で発見された、城の創建当初の石垣の一角(2021年2月撮影)