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May 2022

日本における漆の歴史と文化

  • 日高薫・国立歴史民俗博物館教授
  • 片輪車蒔絵螺鈿手箱(かたわぐるままきえらでんてばこ)(国宝、東京国立博物館所蔵) (12世紀) (縦22.4センチメートル、横30.6センチメートル、高さ13.5センチメートル)
  • 福井県鳥浜貝塚から出土した、赤色漆塗り櫛(縄文時代、約6100年前) (福井県立若狭歴史博物館蔵) (長さ8.9センチメートル、幅7.8センチメートル)
  • 葵の葉をモチーフにした漆塗りの江戸時代の兜「二葉葵張懸兜(ふたばあおいはりかけかぶと)」 (国立歴史民俗博物館所蔵) (縦32センチメートル、横20センチメートル、高さ23センチメートル)
  • 蒔絵と螺鈿が施された「花クルス螺鈿蒔絵鞍」(16世紀〜17世紀) (国立歴史民俗博物館所蔵) (高さ26.8センチメートル、長さ38.8センチメートル 、幅9センチメートル)
  • 螺鈿や蒔絵が施された輸出用の櫃「花樹草花蒔絵螺鈿洋櫃」(16世紀〜17世紀) (国立歴史民俗博物館所蔵) (縦12.7センチメートル、横23センチメートル、高さ15.5センチメートル)
  • オランダのアムステルダムで貿易に従事したヒンローペン家の家紋が蒔絵で描かれた輸出用の絵皿「紋章付山水人物蒔絵皿」 (17世紀後半〜18世紀) (国立歴史民俗博物館所蔵) (直径53センチメートル)
日高薫・国立歴史民俗博物館教授

漆は、日本人の生活や文化に古くから深く関わってきた。国立歴史民俗博物館教授の日高薫(ひだか かおり)さんに日本の漆の歴史と文化について話を伺った。

福井県鳥浜貝塚から出土した、赤色漆塗り櫛(縄文時代、約6100年前) (福井県立若狭歴史博物館蔵) (長さ8.9センチメートル、幅7.8センチメートル)

ウルシの木の樹液である漆は、日本でいつ頃から使われ始めたのでしょうか。

アジア大陸に自生していたウルシの木は、縄文時代(約16,000年前〜2,900年前)に日本列島に伝わり、広がったと考えられています。福井県の遺跡で発見された木材を2012年に調べたところ、約12,000年前のウルシであることが分かりました。これが現時点で日本最古のウルシの木になりますが、当時、ウルシがどのように使われていたかは不明です。

しかし、今から約7,000年前から5,500年前までの縄文時代前期の遺跡からは、ウルシの樹液が塗料として用いられた土器や木の器、櫛や耳飾りといった装身具が数多く出土しています。遅くともこの頃には、当時の人々が漆を使用していたことは確かです。

実は、漆はそれほど扱いやすくはありません。肌に触れるとかぶれますし、ウルシを育てるのも簡単ではありません。それにも関わらず漆が日本で広がったのは、漆が非常に有用だったからです。例えば、容器に漆を塗ると水漏れを防ぎ、耐久性も高まります。また、漆を塗ると、美しくもなります。接着剤として、壊れた土器の接合にも使われていました。このように、漆は実用性、装飾性に優れているので、縄文時代以降も使われ続けたのです。

日本では、王朝文化が栄えた平安時代(8世紀末~12世紀末)以降、漆工芸が洗練されていきますが、どのような技法が発達したのでしょうか。

最も有名な技法が蒔絵(まきえ)です。蒔絵は、漆器の表面に筆を使い、漆で文様を描き、その漆が乾く前に、金や銀の金属粉を蒔き付けて、漆器の表面に固着させる加飾法です。蒔絵の起源は不明ですが*、8世紀以降、実際に蒔絵を使った漆器が日本で作られるようになりました。8世紀末から12世紀末かけて、貴族文化が花開く平安時代に蒔絵は大きく発展します。漆や金銀は極めて貴重で、蒔絵には多額の費用がかかります。しかし、豊かな貴族たちは蒔絵を使って、様々な調度品のみならず、自らの邸宅や寺院などの建築物を作りました。蒔絵は貴族の美意識を表現する重要な手法だったのです。

片輪車蒔絵螺鈿手箱(かたわぐるままきえらでんてばこ)(国宝、東京国立博物館所蔵) (12世紀) (縦22.4センチメートル、横30.6センチメートル、高さ13.5センチメートル)

同時期、日本以外の東アジアでも漆器は作られていましたが、蒔絵は全く使われていませんでした。そのため、10世紀以降、蒔絵は日本の特産品として他のアジア諸国に輸出され、人気を博したのです。

その後、漆器は日本の一般社会にどうのように広がっていったのでしょうか。

貴族が使っていた漆器は何層にも漆を塗り重ねるものだったので、大量の漆が必要で、非常に高価でした。しかし、11世紀頃、漆を塗る前段階の木地(きじ)に最初の塗料を塗る「下地塗り」で、柿の実から抽出した液を発酵させた「柿渋」と炭の粉と混ぜた塗料を使い、その上に漆を1回程度塗るだけで漆器を完成させる技法が生み出されます。この技法を使えば、使用する漆の量が減らせるため、安価に漆器を作れるようになりました。日常品であるお椀やお皿などの食漆器が武士、僧侶、都市の商工業者の間で普及し、16世紀頃には農民の間でも使われるようになります。

17世紀初頭から約260年間にわたり徳川幕府が日本を治めた江戸時代には、工芸技術の発達に伴い、漆を塗った製品の種類が非常に多くなります。例えば、兜や鎧のような武具、馬具、家具などです。ただ、多くの人にとっては、漆器は高価なものでした。結婚式や葬儀などの儀式が開催される時は、大人数が集まって会食が行われるので、多くの食漆器が必要となります。しかし、一つの家族でそうした食漆器をすべて揃えるのは容易ではありませんでした。そのため、他の家から借りたり、共同体で共有したりすることも一般的でありました。

葵の葉をモチーフにした漆塗りの江戸時代の兜「二葉葵張懸兜(ふたばあおいはりかけかぶと)」 (国立歴史民俗博物館所蔵) (縦32センチメートル、横20センチメートル、高さ23センチメートル)

ヨーロッパの古城や博物館などで日本の漆器を目にすることがありますが、それは、いつ頃からヨーロッパへ輸出されるようになったのでしょうか。

遅くとも16世紀末には日本製漆器がヨーロッパへと輸出されています。当初は、主にポルトガル、スペイン、そしてイギリス、オランダなどの国が輸入していました。17世紀初頭以降は、徳川幕府が西洋諸国の中で唯一、日本との貿易を許したオランダが、日本製漆器のヨーロッパ輸出の担い手となります。

当時、日本とヨーロッパとでは生活様式が大きく異なったので、日本で使われている漆器をそのまま輸出しても、ヨーロッパでは使えないものも多かったのです。そのため、ほとんどの輸出用漆器は、オランダ商人からの注文を受けて、日本の職人がヨーロッパ人の生活様式や好みに合わせて特別に作ったものなのです。輸出用漆器は主に、京都の職人が作っていました。オランダ人商人は、オランダとの貿易拠点となっていた長崎の人工島である出島に職人を呼んで注文を伝えたり、江戸(現在の東京)へ向かう途中に京都へ立ち寄り、製作途中の製品をチェックしたりということを行っていたということが分かっています。

蒔絵と螺鈿が施された「花クルス螺鈿蒔絵鞍」(16世紀〜17世紀) (国立歴史民俗博物館所蔵) (高さ26.8センチメートル、長さ38.8センチメートル 、幅9センチメートル)

どのような輸出用漆器が作られたか教えてください。

抽斗(ひきだし)がたくさんある箪笥(たんす)や、蓋が付いた大型の箱である櫃(ひつ)、テーブルなどの家具、そのほかお皿、コーヒーカップなどの食器もありました。輸出用漆器は、蒔絵や、薄く板状に切った貝殻で装飾する「螺鈿」(らでん)といった技法で描かれた文様が施されているのが大きな特徴です。これは、漆器をよりエキゾチックに、より豪華に見せるためだと言えます。

当時、他のアジア諸国からも漆器が輸入されていましたが、日本製の漆器は特に高く評価され、ヨーロッパで人気となります。17世紀のヨーロッパの貴族の財産目録には、“japan” という単語が増えてきます。これは、ヨーロッパで “japan”が漆器全般を指す言葉として使われるようになったからです。

そうした日本製漆器の愛好家の一人には、フランス国王のルイ16世の王妃、マリー・アントワネット(1755-1793年)もいます。ベルサイユ宮殿の彼女の部屋には、日本製の小さな漆器のコレクションを展示する棚が設けられていました。彼女のコレクションは現在、ベルサイユ宮殿美術館や、パリのルーブル美術館、ギメ東洋美術館などで所蔵されています。

螺鈿や蒔絵が施された輸出用の櫃「花樹草花蒔絵螺鈿洋櫃」(16世紀〜17世紀) (国立歴史民俗博物館所蔵) (縦12.7センチメートル、横23センチメートル、高さ15.5センチメートル)

日高先生は長年、漆器の研究をされていますが、漆の魅力を教えてください。

漆はウルシから採った後の加工方法によって、その透明感や色彩が大きく変わります。また、漆を塗る素材、あるいは、技法を変えることで、多様な美しさを作り出すことができます。そのバリエーションは無限と言っても良いでしょう。それが漆の魅力です。

私は日常的にもお椀などの漆器を使っていますが、実用性という点でも、様々な長所があります。例えば、漆器は熱伝導率が低いので、熱い飲み物を入れても、熱くて持てないということはありません。熱い飲み物が冷めにくいというのも良いです。非常に軽量で、手で持ったり、口を当てたりといった時の感触が、とても柔らかです。

また、漆器は塗り直すことで、非常に長く使い続けることができます。今、世界は持続可能な社会を目指しています。漆器はまさしく、そうした社会に適したものでもあると思います。

オランダのアムステルダムで貿易に従事したヒンローペン家の家紋が蒔絵で描かれた輸出用の絵皿「紋章付山水人物蒔絵皿」 (17世紀後半〜18世紀) (国立歴史民俗博物館所蔵) (直径53センチメートル)

* 蒔絵は、中国大陸で考案されたものが、8世紀ごろまでに日本に伝えられたとみる説がある。