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May 2022

伝統的な漆芸を現代美術に:高橋節郎の作品

  • 高橋の出身地の安曇野の、高い山々がそびえる田園地帯
  • 安曇野高橋節郎記念美術館の外観
  • 高橋節郎(1914〜2007)
  • 長野県安曇野市の自然や風景をモチーフにした高橋節郎作「満天星花(漆屏風)」(部分)(1992年制作。176センチメートル×173センチメートル)
  • 高橋節郎作「古墳春秋(漆屏風)」(部分)(1984年制作。縦172センチメートル×横175センチメートル)
  • 高橋節郎作「星座煌煌(こうこう)(漆屏風)」(部分)(1988年制作。縦175センチメートル×横172センチメートル)
  • 展示室
長野県安曇野市の自然や風景をモチーフにした高橋節郎作「満天星花(漆屏風)」(部分)(1992年制作。176センチメートル×173センチメートル)

長い歴史と伝統を有する日本の漆芸の技術を踏まえて開拓した新たな技法によって独自の作品を数多く制作した、漆芸家・高橋節郎(たかはし せつろう。1914~2007)。高橋は、漆芸を新たな現代美術として創出したアーティストだ。

高橋節郎(1914〜2007)

日本では、漆芸は、食器、箸あるいは文箱といった、主に日常生活で使う身近な道具を作ることで、伝統美術工芸品として発展してきた。それを、高橋節郎は、実用的なものを作るのではなく、純粋に観賞に重きを置いた絵画のような「漆パネル」、あるいは「屏風」といった平面状の作品として制作した。特に漆パネルの作品は、これまでの伝統的な漆芸の作品とは一線を画した新たな現代美術として高い評価を得た。

高橋節郎作「古墳春秋(漆屏風)」(部分)(1984年制作。縦172センチメートル×横175センチメートル)

髙橋節郎の出身地は、日本の本州のほぼ中央にある長野県の、現在の安曇野市(あづみのし)で、三千メートル級の高い山々を間近に眺められる緑豊かな田園地帯だ。同市にある安曇野高橋節郎記念美術館の学芸員・冨永淳子(とみなが じゅんこ)さんは、「高橋節郎は、漆という極めて伝統的な素材をまったく新しい現代美術に創出した人」で、「漆芸の細かな手仕事を、大きな画面の中にスケールある作品として描き切る構成力・デザイン力が素晴らしい」とその魅力を語る。

高橋節郎作「星座煌煌(こうこう)(漆屏風)」(部分)(1988年制作。縦175センチメートル×横172センチメートル)

「漆で一番美しいのは黒と蒔絵の金、それから朱」と考えた高橋節郎は、多くの色彩を用いず、黒・金・朱の三色の漆のみで多様な作品を生み出した。とりわけ、高橋が好んで作品のモチーフとしたのは、自身が少年期を過ごした安曇野の自然や風景であり、それをパネルや、屏風として制作した。代表作品『満天星花(まんてんせいか)』は、二曲の屏風形式だ。この作品は安曇野から見上げる銀河と星々や、古代の古墳群から発想を得たモチーフの数々が散りばめられている。人と宇宙、大地とのつながりを表しているかのような雄大な世界観が、深い黒と、宝石のような輝きを放つ金色、更にアクセントのように朱を用いて故郷の山並みなどが表現され、神秘的である。

高橋の出身地の安曇野の、高い山々がそびえる田園地帯

高橋は、そんな神秘的とも言える世界観を表現するために、細い線の表現、金の濃淡や陰影効果をより鮮明に表現する手法の研究を重ね、自ら「鎗金(そうきん)」と呼ぶ技法を編み出した。高橋は紋様を刻んだ痕に摺漆*(すりうるし)を施し、漆が乾く間際に金粉や金箔を埋め、余分な金を拭き取ることで繊細な金の刻線を浮かび上がらせた。

安曇野高橋節郎記念美術館の外観
展示室

この鎗金の技法をも用いて、1964年に発表した『化石譜』は、高い技術が表現上の完成度に結びついた作品として、本人が「技法の面からも、デザインの点でも、私にとっては記念碑的作品」と語るものとなった。 高橋節郎は、1997年に、めざましい功績を挙げた芸術家として、日本政府から文化勲章を受章し、その後も大作を発表し続け、2007年に92歳で生涯を閉じた。長い日本の漆芸の歴史の最先端に刻まれるような足跡を残した。

* 漆塗りの技法の一種。木地に生漆を薄く塗り、木目の美しさを生かす技法。